先祖が武士だったら?

江戸時代の身分と言えば「士農工商」がおなじみです。学校でも日本史の授業でそう習った方も多いことでしょう。

でも、武家を頂点に農民・職人・商人は一括りに平民として扱うという身分制度を表す言葉であった、というのは一昔前までの考え方となっています。実際には「こういう社会階級がありました」程度の概念として捉えられています。あるいは、あらゆる人民を表す言葉として「老若男女」のように使われることもあるようです。

ただ、やはり江戸時代は武家の者、いわゆる武士が高い階級に位置していたことに変わりはありません。自分のルーツを探って行った際、先祖が武士だったかどうかというのは、結構気になるところではないでしょうか。

そもそも武士ってどういう人達?
「武士」というと、時代劇や歴史小説、歌舞伎や落語に出てくるような脇に二本挿している強そうな男、というイメージが先ず思い浮かびます。そもそも武士ってどういう存在だったのでしょうか。

一般的に武士とは平安時代の半ばから江戸時代の終わりまで存在し、その役目は武力をもって主君に仕え、軍事にたずさわることとされています。10世紀頃から、合戦で戦うことを業とする「つわもの」、貴族に仕えて警護を担当する「さぶらい」、武力で公に仕える「もののふ」が自然発生的に現れて、それぞれがなんとなく「武士」と呼ばれるようになっていきました。鎌倉時代の頃になると、こうした武力に関わる三者がまとめられて「武士」という言葉で呼ばれるようになったとのことです。

戦乱の時代は終わり、徳川幕府による天下泰平の江戸時代になると武士の在り方は大きく変化していきます。それまで農村などで生活し、戦があれば軍に加わる態勢を整えていましたが、各藩の城下町や江戸の市中で暮らす都市生活者にへと変わってゆきます。幕府や藩の行政を担う役人となって日々おつとめすることになるのですが、お城番と呼ばれる公務は月に数日しかないということも多かったそうです。自由に商売ができていた町人よりも質素な生活をする武士は多かったというのが実態でした。

武士は10人に1人もいなかった?

260年間続いた江戸時代の人口は約3,000万人から約3,200万人といったものまで諸説あります。武家人口はその中の約7%だったとのことですから、200万人から220万人くらいでしょう。ちなみにもっとも多かったのは農民で約85%だったとされています。

また、江戸に限定すると、その人口は「100万都市」と言われる通り、大火や飢饉で上下はありますが、だいたい100万人くらいで推移していたようです。武家は人口統計から除外されていたため統計上の報告は少ないのですが、2万人から6万人という説が有力となっています。

先祖が武士かどうかはこうやって調べよう
さあでは、あなたのルーツは、はたして武士なのでしょうか。やはり「武士道精神」とか「サムライジャパン」といった響きからか、先祖が武士であって欲しいと願う人は多いようです。ただ、それを調べるのは大変困難なことであるのを知っておいて下さい。

江戸時代、武士は名字を名乗ることを認められていました。庶民が名字を得たのは明治入ってからのことです。江戸時代の武士が名乗っていた名字というものも、だいたいわかっているようです。もし自分や先祖の名字が武士と同じだったとしても、先祖が武士であったと特定することはできません。武士の名字は、明治になると誰でも名乗れる名字となってしまったからです。

調べる方法はあるのか?

では、どうすればわかるのか。手間の掛かる作業にはなりますが、王道とはこういう方法になります。

まず、家族や親戚に聞いてみましょう。そこで明確に先祖が何藩の藩士だったかとか役職がわかれば戸籍を調べてゆきます。自分より上の世代の親戚にそういった情報を持っている人が一人もいなければ、先祖が武士である可能性は低いといえます。

続いては戸籍で明治初期までの先祖を調べます。その先祖の墓地や菩提寺の古文書、郷土史などに価値ある情報が隠されていることがあるかもしれません。もし、幕末の頃に武士であったことが有力となれば、藩士の家系図や、藩の組織人員録の分限帳、古地図などをもとに調査を進めてゆきます。こういった調査は専門的で、一般の方には困難な場合も少なくありませんので、場合によっては調査のプロに依頼することも検討する必要があります。

江戸時代と明治時代で国民の管理方法は大きく異なり、江戸時代の文献調査はそれこそ濃い霧の中を一人ですすんでいくようなもので、いくら調べても確証は得られ難いかもしれませんが、ライフワークとして自分が納得がいくまで根気よく調査してみましょう。こうした時間は自分を見つめ直すよいキッカケとなり、決して無駄にはならないものです。