はじめに

2019年5月1日、いよいよ令和の時代が幕を開け、皇太子徳仁殿下が今上天皇として即位しました。天皇としては実に126代目。初代の神武天皇が即位した皇紀元年(西暦紀元前660年)から数えると、令和元年(2019年)は皇紀2679年に当たります。

ワシントンポスト紙の調査によると、現在世界には26もの王室が存在しています。この内最も歴史の長い王室が日本の天皇家。因みに第2位は、欧州で一番古いデンマーク王国です(始まりは8世紀とも10世紀とも言われており、確かではありません)。エリザベス女王の君臨する「グレートブリテン&北アイルランド連合王女」、いわゆるイギリス王朝も1066年が王国創立の年であり、世界第3位に過ぎません。

もちろん日本の天皇家も、初代神武天皇から25代「武烈天皇」にわたっては「古事記」「日本書紀」に登場する神話時代の可能性もあり、存在自体に疑問視する意見もあります。しかし、西暦507年に即位した第26代「継体天皇」からは実在する天皇としての記録も残っています。

この記事では、そんな天皇家が、なぜこれほど長い年月脈々と続いてきたのか、そして日本人にとっての天皇家とは何かについて、そのルーツやいくつかのエピソードを交えながらお話ししていきたいと思います。どうか最後までお付き合い下さい。

 

天皇家とそのルーツ

天皇家とそのルーツ

天皇のルーツと神道

およそ2600年間以上、しかも126代にわたる天皇家が、一体どこからやってきたのか、そのルーツは定かではありません。日本神話がメソポタミア神話と酷似している点などを考え、遙か昔、天皇家の祖先は中央アジア以西の彼方からの渡来人であるという説もあります。

そんな中で、前天皇である明仁上皇が、「かって天皇家には朝鮮からの帰化人の祖先がいる」という談話を発表しています。その帰化人こそ、第50代天皇である桓武天皇の母親「高野新笠(たかののにいがさ)」と呼ばれる百済(朝鮮半島)出身の帰化人の女性です。

その一方で、よく知られているように日本民族は、東アジアなど南方系の渡来人とシベリアなど北方系渡来人の混血と言われています。天皇家の最も古い祖先が、どこから来たのかは、技術がさらに進歩し、くまなくDNA鑑定等をしてみなければわからないことでしょう。

ただ、平安時代に頻繁に行われていた藤原氏との婚姻関係などのように、天皇家と一般の民衆とが徐々に混血して至ったのは事実といえます。そのことから、天皇家の血統が広く日本民族の中に浸透していったのは間違いありません。

世界で唯一の単一王朝国家

私たち日本人は余り気に留めることはありませんが、天皇家は、世界的に見ても実に希有な王族です。その理由は、126代、約2700年近く「万世一系」の天皇が在位し、一度たりと王朝交代をしなかった点にあります。(ただし、1336年から1392年間の南北朝時代には、一時的に2系統の天皇が存在しました。)

かの有名なローマ帝国でさえ、たかだか1000年です。日本の天皇家がいかに長い時代、王家として日本に存在しているかが分かります。なぜ、それほどの長期間、天皇家が存続してきたかについては、別の章で詳しく述べたいと思いますが、簡単な理由として次の2点が上げられます。

  • いずれの時代においても、時の権力者が、天皇家を手厚く庇護し、存続させてきた
  • 日本国民(日本に生まれ育った民衆)が、神道上天皇家を敬い、崇拝していたから

平安末期に台頭し始めた武士や昭和時代の軍部など、天皇を遙かにしのぐ武力や経済力を持っていた支配者(支配層)でさえ、ただの一度も天皇家をこの世から消し去ろうなどとは考えませんでした。一般の民衆に至っては、崇拝の対象である天皇家に恭順こそすれ、敵意などを持つ国民は、皆無であったと考えられます。

その理由として、天皇は神道上は「神の子孫」であり「神の使い」そのもので、常に「お上」や「天子様」と呼ばれる存在だったからです。ローマ皇帝のように、武力で民衆を鎮圧したり、過酷な政治や税金で民を責め抜いたりしたことはほぼ皆無です。天皇家のルーツをたどると、天照大神が祖先であるといわれ、国家神道における最高位の「神官」である天皇は、現在も尚「現人神(あらひとがみ)」と信じられ続けているからです。

皇帝(Emperor)としての天皇

皇帝(Emperor)としての天皇

キング(王)ではなくEmperor(皇帝)として

現在、世界でただ一人「皇帝(エンペラー)」と呼ばれているのは天皇だけです。世界には26もの王室があり、「キング」と呼ばれる王はあまた見られます。その中で、天皇だけが王よりも格上である「皇帝」と見なされているわけです。天皇の英語訳も実は「Emperor」のみ。

皇帝という称号は、ローマ帝国や中国王朝の中で用いられていた呼び方です。そんな中、日本を訪れる欧米人は、17世紀の中程から天皇を「皇帝(エンペラー)」と認識し、当時の記録にも残しています。何も1846年に樹立された「大日本帝国」の君主として、皇帝と呼ばれていたわけではなく、それ以前から欧米人でさえ天皇を、「皇帝」として崇めていたことが分かります。

もともと「天皇」という名称は、中国などの諸外国向けに作られた漢語です。一般の民衆には明治時代以降に定着しました。それまで天皇は「大王(おおきみ)」とか「内裏(だいり)」、あるいは「御門(みかど。後に「帝」の文字を当てられます)」と呼ばれていた存在が、明治国家の新体制を樹立する段階で、一般の民衆に向けて流布した呼び名です。織田信長に仕えた有名な宣教師「ルイス・フロイス」でさえ、当時天皇の名前を「Dairi」と記録しています。

天皇家のように一国の君主は、「王」と呼ばれるのが通例です。さらに、「皇帝」という称号は「王の中の王」として用いられるのが一般的です。なぜ、日本という一国の王である天皇が「皇帝」と呼ばれるようになったのか、そこには対中国としての歴史的な背景も隠されています。

日いずる処の天子

数多くの王が群雄割拠していた中国大陸。その最高位は「皇帝」こそふさわしい称号でした。その中国に対して一歩も引かなかったのが日本です。時の摂政「聖徳太子」は大帝国「隋」の皇帝である「煬帝(ようだい)」に次のような親書を送りつけます。

「日いずる処の天子、書を、日没する処の天子に致す。つつがなきや。」

(日の昇る国の皇帝(日本の天皇)が、日の沈む国の皇帝(中国「隋」の皇帝)に手紙を送ります。変わりは無いか?)

当時の日本は、辺境の地として蔑まれ、女王でさえ「卑弥呼」(卑とは「いやしい」という意味)と呼ばれていました。そうした時代を経て、ようやく律令国家を樹立した日本は、強大な中国に対して一歩も引くことが出来ません。退けば朝鮮のように属国にされてしまうからです。

したがって日本の天皇は、常に中国王朝の皇帝と同列でなければならず、対外的に「皇帝」を自認する必要性があったといわれています。中国やロシアなど、皇帝と呼ばれる王族がこの世からいなくなった今、天皇が現在世界でただ一人「皇帝(エンペラー)」と呼ばれているのには、そうした歴史的な背景もあるようです。

日本人にとって天皇家とは

日本人にとって天皇家とは

皇室を滅ぼした中国 ロシア

日本の天皇家が約2700年間も続いている一方で、どうして他国の皇帝は姿を消し、王族は滅んだのでしょう?

まず、日本に最も影響を与え、日本が歴史的に怖れ敬ったのはお隣の中国です。しかし、1912年(大正元年)中国最後の王朝「大清国」は滅亡し、その第12代皇帝である「愛新覚羅溥儀(あいしんかくらふぎ)」は、辛亥革命によってその地位を追われます。秦の始皇帝から約2100年間続いた皇帝制度は、溥儀によって終わりました。

映画「ラストエンペラー」の主人公としても有名な溥儀が、王宮「紫禁城」を追われた背景には、様々な政治的混乱があったのは事実です。その後1934年、満州事変後に設立された「満州国」の皇帝に溥儀は返り咲きますが、結局関東軍の傀儡に過ぎず、満州国の崩壊とともにソ連抑留の後、北京で一下級官吏として死去しました。溥儀の死去以後、中国に皇帝は誕生していません。

溥儀以上に、いや溥儀とは比較にならないほど悲惨な末路をたどったのがロシアロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世です。ロマノフ王朝は1613年から1917年までの300年もの間、ロシアに君臨した最後の王朝です。1917年ロシア革命が勃発した時、ニコライ2世が第14代目という名門の王族でした。

この世の栄華を思うがままにしたロシアの皇帝ニコライとその妻、そして5人の子どもたちや従者達は、1918年7月17日、エカテリンブルクの小さな館に幽閉されたまま、全員が革命軍に虐殺されました。

遺体は切り裂かれ、焼かれ、森の中に穴を掘って放り投げられた上に硫酸をかけられて埋められたといわれています。その後、1998年に行われた一族の国葬で、当時の大統領「ポリス・エリツィン」は、「この殺害事件がロシア史上最も恥ずべき歴史の一つである」と述べています。

滅ぼされなかった天皇家

こうして中国大清帝国とロマノフ王朝の皇室は滅びました。けれど、日本の天皇家は2700年にわたり生き延びたのです。比叡山を焼き討ちにして、僧侶や老若男女を片っ端から焼き殺し、悪逆非道の「仏敵」と言われた「織田信長」でさえ、天皇家を一度も滅ぼそうとはしませんでした。

源氏も平氏も、室町幕府や最後の武家政府である徳川幕府でさえ、その武力をもってすれば、天皇家を一ひねりにすることは容易かったでしょう。しかし、ほぼいずれの時代にも天皇家は、時の権力者によって熱く敬われ、丁重な扱いを受けてきたのです。

天皇家がなぜ、溥儀やニコライ2世のような悲惨な運命をたどることなく、現在も存続しているのか、その理由のいくつかを述べてみると下記の通りです。

  • 溥儀やニコライは皇帝として、己の地位と権益を守るため、時に容赦なく一般の民衆を弾圧し、時にたやすく命を奪うなど残酷な為政者の側面を持っていた。しかし、代々の天皇は、神の子として国家と民の安寧と平和を祈り、民の信頼を裏切ったり、人としての道を外れたりするようなことはしなかった。
  • 天皇はいつの時代も、時の権力者とは一線を画し、超越した存在であった。「神の子」であり「絶対者」である天皇から、政治を預かり、任されていると自負することで、いずれの時代の為政者も、天皇を敬い、仕えてきた。

こうした天皇家の存在が、明治維新の際の大規模な内乱を防ぎ、近代国家樹立に大いに役立ちました。太平洋戦争に負けて、天皇家の存続が危ぶまれた時、GHQのマッカーサーが天皇家を存続させたのには、こうした理由があったからだといわれています。

NHK「日本人の意識調査」の示すもの

天皇家、特に「天皇制」対する日本人の考え方を知る上で、NHKが5年置きに行っている「日本人の意識調査」は興味深い結果を示しています。特に1973年と2013年の結果を比べてみると下記の通りです。

質問「あなたは天皇制に対して、現在、どのようなイメージをもっていますか?」

<回答>

・1973年(昭和48年)

「無感情」43~47% 「尊敬」約30% 「好感」約20% 「反感」常に2%

・2013年(平成25年)

「無感情」28% 「尊敬」約34% 「好感」約35% 「反感」常に3%

終戦とともに定着した「象徴」としての天皇の姿は、戦後20数年を経ても、敗戦による国民の痛手を色濃く残していました。カリスマ性のあった昭和天皇とはいえ、尊敬しているのは約30%、好感をもっているのも約20%に過ぎません。

しかし、40年後に実施された調査では、天皇家への無感情が低下し、「尊敬」「好感」ともに大幅に向上しています。その大きな変化のきっかけとなった直接の要因は、次の2点です。

  • 皇后美智子妃を史上初めて民間からお后に選び、皇室が国民にとって身近な存在になったこと
  • 東日本大震災への天皇皇后両陛下の行動や「お言葉」が傷ついた一般国民の心を慰め、広く受け入れられたこと

特に、80歳を過ぎても尚、被災地に進んで赴き、肉親や住居を失った被災民を労り、励まし続ける両陛下の姿に国民が感動したことも一因です。被災民の手を握り、ひざまずく天皇・皇后のその姿は「どこかありがたい」という慈悲と労りに満ちています。

また、よく知られているように天皇の公務は「国事行為」「公的行為」「宮中祭祀(きゅうちゅうさいし)」の三つです。テレビやマスコミには国会の国事行為や晩餐会など公的行為は放映されますが、「宮中祭祀」が取り沙汰されることは多くありません。

しかし、天皇にとって最も重要な公務とは「宮中祭祀」です。天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々に感謝の祈りを捧げ、国民と日本国の平和と安寧を、毎日祈り続けています。宮内庁の職員が語ったところによれば、明仁前天皇も、徳仁現天皇のいずれも、宮中祭祀における祈りは真剣そのものであり、全身全霊を傾けて行っているそうです。

特に、今上帝である徳仁天皇のお勤めぶりは、父上皇を凌ぐ様子であることが一部の宮内省職員の口から語られています。国家と国民の安寧と平和のために、毎日祈り続けている皇帝など、日本の天皇家以外にはありません。

さらに、世界各国の賓客に対しても分け隔てなく笑顔で迎え、常に、謙虚で慎ましい言動に終始する天皇・皇后の二人の姿は、日本国民の心をやわらかな温かさに包んでくれています。そして、その基本姿勢は令和の時代を迎え、これからも今上帝である徳仁天皇と雅子皇后にも受け継がれていくに違いありません。

まとめ

日本の天皇家は、ある意味で「世界の誇り」ともいえます。人間は私利私欲に突き動かされ、その立場を奪おうとしますが、歴史上、日本人で天皇の立場を奪おうとするものはほとんどいませんでした。長い歴史の中で天皇家を無くそうとする人もおらず、2700年近くの年月が経過してきたということなのです。

戦前から戦中にかけて、日本の神道が国体主義と結びつけられ、不幸にも軍国主義や戦争へと突き走りました。天皇があたかも戦争遂行者であるかのような印象を受け、国民もたくさんの人が犠牲になりました。しかし、戦後70有余年を経て、ようやく日本人も天皇家も、元の本来の関係に戻りつつあるのかもしれません。

ところで、日本の国歌である「君が代」に、こんな意味があることをご存知でしたか?

<国家「君が代」>

君が代は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで

 

<現代語訳>

「君」(日本を愛するすべての日本人)」のいるこの幸せで平和な毎日(世の中、治世)が、千年も八千年も永遠に続きますように。小さな石が集まって固い絆とともに大きな石の塊になって、苔が覆い尽くすようになっても

現在天皇家には「生前退位」や「男系継承」など、解決すべき多くの難問が立ちはだかっています。しかし、こんな素敵な国歌を戴いている日本国民のために、天皇は日々、その願いを祈り続ける世界で唯一のエンペラーであることに変わりありません。そのことを、これからも日本人として心の隅にでも覚えておきたいものですね。

<参考>

「日本の誕生 皇室と日本人のルーツ」ワック出版社  長浜浩明 著

「世界の奇跡」日本の天皇が滅びなかったワケ  https://toyokeizai.net/articles/-/255783

天皇のルーツとは? 歴史に翻弄され続けた「天皇の権威」を振り返るhttps://dot.asahi.com/aera/2019050900065.html