皆さんが普段、生まれた時から当たり前のように、使っている名字。 これがいつ決まって、使われるようになったのかご存知でしょうか?

中国から伝わった「字(あざな)」と公家・公卿との関係

名字は元々、「名字(なあざな)」と呼ばれていたという説がありますが、これを完全に否定している説があるのも事実です。
では、どちらが正しいのか?ということになりますが、やはり今の時代とは違って大昔というのは、記録がなかったりと、現代では憶測で物ことを決めるしかない場合もあるので、致し方ない・・・というのが本音です。

この名字(なあざな)というのは、そもそも中国から入ってきた「字(あざな)」の一種だったと言われています。公卿(くぎょう)などは、早くから地名を称号としていたとされ、これが公家や、武家における名字として発展していくことになったとされています。ここで、公卿や、公家と聞いて疑問に思われた方もいらっしゃるはずです。私もその1人です。

余談ですが、以前にかなりの視聴率を出していたNHKの「真田丸」というドラマを観ていた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか?
真田幸村というかつての有名な武将を主人公として、幸村の生涯を描いたドラマです。ここで、幸村の母がよく言っていたセリフとして、「私は公家の出身です」と言い張るようなシーンが多くありました(公家の出身ではないにも関わらず、軽視されないように公家出身と名乗っているような演技)。つまり、自分は位が高いところの出身なのだと主張したいということがわかります。公家というのは、朝廷に仕えていた人のことを意味しています。

朝廷とは、天皇を頂点として政府のことをいいます。歴史が好きな方であれば、スッと頭に入ってきそうな用語ですが、そこまで興味がない人や苦手な人にとっては、普段使わないようなワードが出て来るだけでも混乱してしまう方も多いのではないでしょうか。なるべく、ひっかかりがないように解説していきたいと思います。

次に公卿ですが、これは貴族と関係してきます。
位にも段階があり、公家は朝廷に使える全員のことを意味し、公家のうち、従五位以下より上が貴族、貴族のうち従三位より上が公卿という流れになっています。
この辺についても諸説あり少しわかりづらいので、深く考えず単純に「昔の偉い人に仕えていた人達」くらいの認識で良いかもしれません。

一般庶民の名字のはじまり

このように、昔から位が高いとされてきた方々の家には、すでに名字となるものが存在していたわけですが、一般的な庶民の名字は、そもそもいつから決まったものなのでしょうか。 古代の庶民の方たちは、主にそこの部曲の◯◯部という姓を持っていました。
おそらく昔は、そのような部曲がり、そこで分けて◯◯部という姓を持っていたと考えられます。しかし、支配をしている人々の流れや動きと一緒に忘れられて行き、中では勝手に氏を名乗りだす人々まで現れ始めます。しかしながら、そもそも名字は、姓(本姓)のような天皇から公的に下されるものではなく、自由に名乗ることができるものなのだそうです。住んでいるその土地を名字として名乗っていたり、主人からご褒美として名字を貰ったりしていました。住んでいた所などを名前にしていたというのは、現代でもよくある名字の中に沢山あります。

例えば、田辺さんはどうでしょうか?
おそらく田んぼの周辺に住んでいたのでしょう。
橋下さんはどうでしょう、こちらもおそらくは、橋の下の方に住んでいたのでしょう。
このように、住んでいた場所や、土地の名前などを使って名字を名乗って今の子孫に至る家系も沢山あることでしょう。

そもそも庶民は名字を持っていなかったわけですが、その理由は、江戸時代の幕府の政策によって、公家と武士以外は原則名字を名乗ることができなかったのです。
ここらからも、現代の日本では少し薄れつつある、位や、身分の高さ、低さなどが垣間見えます。このような事情により、庶民は名字を持てなかったとされているわけです。

その後、明治に入っても、最初の内は幕府と同じように、名字を名乗るには許可を取らなければならない制度が続いていきます。
明治2年の7月以降、武家の政権が代わり、天皇親政に戻ります。しかし、武家の出身者のほとんどが源の姓であることや、公家の出身者のほとんどが藤原姓となっており、時代にも合わずに早々と廃止されることになります。その後、明治3年に法制学者である細川順次郎や、大蔵省の主導の元、戸籍の制度を近代化することを重視され、名字政策は転換を迎えることになります。

そして、明治8年(1875年)2月13日の平民苗字必称義務令によって、全ての国民が苗字を持つことになりました。ちなみにこの平民苗字必称義務令が下った2月13日のことを「名字の日」となっています。

現代の名字制度へ

このように、昔から位の高い人々には、名字があったものの、位のない者は勝手に名乗ったり、名乗る許可を得たりする歴史の流れの中で、やっと明治8年の2月13日に、全ての人々が名字を持つことができるようになったというわけです。

現在は、昔のように、自由に名前が付けられたり、変えられる時代ではありません。変更が簡単にできなくなったのは、明治5年の5月7日の「通称実名を1つに定むること」と、いう太政官の布告によって、公的な本名が1つとなり、登録をした戸籍の名前は、同じ年の8月24日の布告によって変更することが簡単にはできなくなったとされています。
更に、結婚した場合の名字ですが、明治9年の3月17日の太政官の指令によって、他の家に嫁いだ女性は結婚前の名字とされ、実は当時、現在とは真逆である夫婦別姓として全国民に適用されることになりました。結婚をした夫婦が、原則同じ名前となったのは、明治31年の明治民法が成立してからだとされています。

意外だと思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
近年、夫婦別姓でもいいのではないかと、様々な論議が繰り広げられていますが、昔は今とは逆で、夫婦は別姓でした。しかも、夫婦別姓と決まったのが、明治9年ですから、長い期間、夫婦別姓となっていたということがわかります。

このように、普段当たり前のように我々が使っている名字ですが、これにも様々な由来や、歴史があることを、少し理解して頂けたのではないでしょうか。