戸籍を辿って家系図を作ろうとするときに、必ず壁となるのが「明治5年式戸籍」、別名「壬申戸籍(じんしんこせき)」です。

江戸時代の宗門人別改帳に代わって、明治4年の戸籍法に基づいて翌明治5年(1872年)に編製された戸籍です。この記事では、この壬申戸籍にまつわるエピソードに迫りたいと思います。

壬申戸籍とは?

壬申戸籍と呼ばれる理由

猿

壬申戸籍が作られた明治5年の干支が「壬申(みずのえさる・じんしん)」だったため「壬申戸籍(じんしんこせき)」と呼ばれています。日本初の全国的な戸籍といわれ、670年に作られた庚午年籍(こうごねんじゃく)は庚午(こうご)の年に作られたことから、「戊辰戦争(ぼしんせんそう)」は、戦争が始まった明治元年の干支が戊辰(ぼしん)だったことからそう呼ばれています。

今では干支といえば十二支ですが、歴史的な出来事を振り返るときには十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)を組み合わた60周期の干支(えと)がよく使われました。

江戸時代までの戸籍制度とは?

江戸時代までは「寺請制度」と呼ばれる宗教統制が行われ、必ず寺院の檀家になることが求められたため、寺が今でいう役所のような役割を果たすようになっていました。その後、幕府が藩に対して宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)という台帳の作成を命じ、その宗門人別改帳が今でいう戸籍や租税台帳の役割を果たしていたのです。

明治以前の戸籍制度の歴史については関連記事に時系列で詳しくまとめています。

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明治5年に編成された壬申戸籍

明治維新後、新政府は近代国家、中央集権国家の確立を目的として、江戸時代まで「藩」ごとに行っていた国民管理を、新政府が全国単位で行う必要がありました。国民管理を厳格に行わなければ、租税制度や徴兵制度を確立することができず、国家として人口統計等も集計することもできなかったからです。

そんな時代背景から、明治4年に戸籍法が制定され、明治5年に明治新政府主導の元で作られたのが明治5年式戸籍(通称:壬申戸籍)だったのです。しかし、この壬申戸籍は新政府による初めての戸籍制度ということもあり、たくさんの問題を抱えていたのです。

壬申戸籍の問題点とは

問題

1.人口のズレがあった(誤差問題)

壬申戸籍を元にした調査では、当時の日本の全人口は3311万人と集計されています。しかしその後の人口統計では、地域別の人口にズレが見られるようになり、今では相当に誤差があったものと考えられています。当時、無届けの転出・転入が多かったのが原因といわれています。

現代でも無戸籍問題は存在していますが、当時は今以上に出生届や死亡届の無届けも多かったでしょうから、誤差も大きくなったと思われます。さらに定期的に改編される規定があったにもかかわらず、実際にはほとんど改編もされていなかったということも、誤差を生んだ原因のようです。

2.戸籍の様式が統一されていなかった

壬申戸籍が作られた当時、戸籍の管理は役場ではなく戸長(こちょう)と呼ばれる行政事務の責任者が管理していました。今ではイメージしづらいですが、当時は戸籍はコンピューター管理ではなく、戸籍も毛筆手書きでタイプライターの活字もない時代だったのです。さらに、今のように電話もないため、情報伝達手段もあくまで文書でした。

壬申戸籍には記載する内容について最小限度の要件はあったものの、様式は特に定められなかったため、地方ごとに戸籍の様式が異なることになってしまいました。画一的な様式がなく、地域ごとに違う様式で戸籍を編成したため、何が記載されるのかについては全国で統一されなかったといわれています。

3.一部に身分差別的な記載があった

上のように画一的な戸籍の様式が定められていなかったこともあり、一部の地域の戸籍に“余計な事”が記載がされるようになってしまいました。壬申戸籍の一部には職業と業種、氏神や菩提寺、妾、さらには使用人や家来も附籍として登載されていたといわれていますが、その“余計な事”の代表的なものは、江戸時代の職業・身分に関することでした。

明治4年に「賎民解放令」で穢多非人等の身分は廃止され、平民として編入されたにもかかわらず、一部地域では戸籍に新平民や元穢多、元非人等と記載されてしまっていたようなのです。そのような記載が戸籍に残ってしまっては、四民平等の精神で身分制度を廃止した意味がなくなってしまいます。

こんな問題だらけの壬申戸籍ですが、明治31年(1898年)までは現役で利用されていました。新しい様式である明治19年式戸籍に移行された後は改製原戸籍として利用され、保存期間が過ぎた後も閲覧ができたといわれています。

壬申戸籍にまつわる事件

割れたコップ

壬申戸籍の不正請求事件(1968年)

1968年(昭和43年)に壬申戸籍が他人の身辺調査、つまり被差別部落民かどうかを調査するための手段として利用されようとしていた事件が発覚します。これを受けて、民事局長の通達により閲覧禁止とされ、以後壬申戸籍は法務局・市町村のいずれかで厳重に封印・保管されることになりました。このような経緯から、現在閲覧できる最も古い戸籍は明治19年戸籍までとなっています。

ヤフオク出品事件(2017年)

最近では、壬申戸籍?とされる文書がインターネットオークション(ヤフオク)に出品される事件が発生しました。その文書が本物の壬申戸籍であるかは不明だったものの、法務省がヤフーに取引の中止を要請した経緯があります。結局は出品者が出品を取り消したため、取引は成立しませんでしたが、個人情報の意識の高まりと共に話題になった事件でした。

戸籍を請求できる範囲とは

最近では特に個人のプライバシーが意識されるようになり、今では法律により、戸籍の閲覧は請求にかかる人の「配偶者、直系尊属若しくは直系卑属」に限定されています。

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昔、戸籍は公開されていた?

戸籍は高度な個人情報ですから、原則“非公開”であることが当然のように思えますが、実は戸籍は平成20年の法改正までは何人にでも“公開”が原則とされ、不正取得への対応については市区町村の運用に任せられていました。昔は個人情報の保護よりも、戸籍の持つ公証機能を優先させていたということなのです。

戸籍が個人情報であると認識されて、個人情報の保護のため請求権者が限定された後も、行政書士をはじめとして専門資格者による職務上請求書を利用した不正請求事件が度々発生しています。

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壬申戸籍を閲覧する方法はある?

秘密文書

自分のルーツを辿る上で、大きなハードルになるのが、この壬申戸籍です。自分の先祖の記載された壬申戸籍を閲覧できたら、自分のルーツを探り当てる上での大きなヒントも見つけられるかもしれないので、「どうにかして見たい!」と考える方もいることも事実です。実際、その位真剣に家系図作りに取り組まれている方もたくさんいらっしゃいます。

しかし現状、どんな方法を使っても、壬申戸籍を閲覧することはできません。法務省は壬申戸籍を行政文書に該当しないとして非公開との立場をとっていて、過去に情報公開された事例も裁判所により却下されています。数百年後であればともかくとして、近い将来では閲覧が許可される可能性もほとんどないでしょう。家系図作りにも人権保護の観点は必要ですから、壬申戸籍はいっそ見れない方がいいものだと考えましょう。

閲覧する唯一の方法

そのため壬申戸籍を見る唯一の方法は、過去に取り寄せたものが残っていたらそれを見れる程度です。過去に一家で家系図作りに取り組まれたことがある家であれば、残っている可能性があるかもしれません。しかし閲覧禁止になってから50年以上も経っているため、今でも残っている可能性は非常に低く、素直に諦めるべきでしょう。

明治19年式戸籍でも十分!

戦災、天災、保存期間満了による廃棄により閲覧できない戸籍もあるものの、実際は明治19年戸籍まで辿れる可能性は相当高いものです。明治19年戸籍からでも、江戸生まれのご先祖の名前と本籍地は確認できるので、壬申戸籍が閲覧できなくても、自分のルーツ探しの手がかりは十分得られるはずです。壬申戸籍は諦めて、与えられた情報から江戸時代へのルーツ探しに取り組んでみて下さい。

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