日本で生活していれば、戸籍というものについてはご存知だと思います。しかし「戸籍とは何か?」と聞かれて、答えることができるでしょうか。ほとんどの方にとって戸籍は「名前とか家族とかの情報を国に登録するもの」というイメージが強いのではないでしょうか。

今は当然のようになっている戸籍にも、制度の目的があり、さらに長い歴史があります。そこでこの記事では、家系図作りに必須の知識である「戸籍の歴史」について解説します。戸籍は一体いつから始まり、どんな目的のものなのか。古代から現在にかけてまでの、戸籍制度について、解説していきます。

戸籍の歴史はいつから?

飛鳥時代

では、この戸籍制度は、一体いつから始まったのでしょうか。日本で最初の戸籍から、現在まで順番に見てみることにしましょう。

古代の戸籍のはじまり:名籍(なのふだ)

最も古い戸籍は、日本書紀(日本最古の歴史書)に記録があります。名籍(なのふだ)とも呼ばれます。6世紀中頃、現在の戸籍のような全ての人を対象としたものではなく、当時は渡来人(海外からわたってきた人)等の記録をするための対象とした限定的なものだったそうです。全ての人民を対象とするような制度ではなかったため、今の日本の戸籍制度とは相当異なるものでした。しかし戸籍にも想像以上に古い歴史があったことがわかると思います。

庚午年籍(こうごねんじゃく)

飛鳥時代の645年、「大化の改新(たいかのかいしん)」で戸籍が制度化され、670年に「庚午年籍(こうごねんじゃく)」と呼ばれる制度が作られました。これが大化の改新以後、日本で最初につくられた、整った形での全国的な戸籍とされています。庚午年籍の主な機能は身分・氏性を確定する台帳のようなもので、徴兵のために利用する目的もあったそうです。当時は当時の戸籍の保存年数が30年だったのに対し、庚午年籍は永久保存とされました。永久保存とされていましたが、1300年以上前の話ですから今では現物は存在しておらず、当時の古文書から存在が確認できる程度です。現存しないため詳細な記録や情報がなく、本当に全国的な調査が行われていたのか等は、歴史学者の間でも議論があります。

庚寅年藉(こういんねんじゃく)

その後、690年に「庚寅年藉(こういんねんじゃく)」という、また別の戸籍制度が作られています。これは6年ごとに作成された全国的な戸籍制度でした。当時の人民支配のために、家族構成や身分を記載していたものです。上で紹介した庚午年籍をより進化させた制度と考えられます。

この時代は、各地の豪族を中心とした政治から天皇中心の律令国家に向けて移り変わっていった時代です。班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)という法体系のもと、古代日本で人民・農地の管理と租税・徴兵の目的で戸籍制度が作られました。この時代の戸籍制度は、人民の支配・管理のためだったのです。

古代の戸籍制度の終焉

これまでの古代の歴史は、日本史の教科書でいうと、ほとんど最初の十数ページに書かれている時代のことです。この時代で作られた戸籍制度が、様々な時代を経て現代まで続いたと思いきや、9世紀初頭(平安時代)から全国単位の戸籍の作成が行われなくなってしまいました。平安時代当時の戸籍は租税を課す基準になっていたため、税金逃れのための戸籍の偽装が行われたり、浮浪人が増えたりする等して、制度自体が崩壊し、消滅していったのです。さらに当時、大化の改新を機に続いた天皇を中心とする「律令制」が大きく後退し、貴族が力を持つ新しい制度に変わっていった、という大きな変化も起きていました。

鎌倉時代・室町時代の制度

鎌倉時代

その後の鎌倉時代と室町時代は、戸籍に類似したものの現存する史料が残っていません。しかし人民・領地の管理、租税の必要性はあったため、何らかの人民管理を行っていたと推測されています。鎌倉時代にできた法律である「御成敗式目(ごせいばいしきもく)」の規定を読むと戸籍のようなものの規定が確認できます。

この頃は、公家や武士を中心に「名字」も広まっていった時代でもあり、戸籍の歴史と名字の歴史は人民管理の変遷を語る上で、とても密接な関係にあります。

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安土桃山時代の「太閤検地」

安土桃山時代

では戸籍制度のような管理制度が歴史に明確に出てくるのはいつなのでしょうか。それは戦国時代が終わりを迎えた後の安土桃山時代、豊臣秀吉(羽柴秀吉)によって行われた「太閤検地(たいこうけんち)」です。これは年貢としての米を取り立てるためのもので、その土地の権利関係、土地の広さや、どれだけの収穫があるか、そこの農民は誰なのか等を帳面に書いたもので、今でいう国勢調査のようなことが行われたのです。太閤検地によって作られた検地帳は課税のための制度という色が強いということがわかります。戸籍という名前はつかないものの、戸籍に代わる制度で租税のために農民・地勢を把握する、ということは歴史の中でずっと行われてきたということがわかります。

江戸時代の戸籍に代わる制度

三つ葉葵

江戸時代にもまだ戸籍制度は復活しませんでした。しかしその頃は徳川幕府のもと身分制度が確立し、「宗門人別改帳」という村・町ごとに作成された民衆調査の台帳や、お寺の作成した「過去帳」が現在でいう戸籍制度の役割を果たすようになります。武士については「分限帳」と呼ばれる武士の名簿のようなものが藩ごとに作られました。

宗門人別改帳

「宗門人別改帳(宗門人別帳・宗門改帳)」(しゅうもんにんべつあらためちょう)は、領主が村ごとに作成させ、提出させ公的な目的を持った帳簿です。幕府は島原の乱の以降、鎖国により海外交流の制限を強化し、キリスト教も禁止し寺請制度(てらうけせいど)を設けました。当初はキリシタン排除の機能・意味合いが強かったものの、次第にキリシタンの取締りは減っていき、今でいう戸籍や租税台帳としての意味合いが大きくなっていきました。

宗門人別改帳には民の家族構成・生年月日・職業・血縁関係等が記載され檀家となっている寺が書かれます。丁稚奉公等で土地を離れるときには、寺請証文を発行してもらい、新しい寺で手続をしなければなりませんでした。その手続を怠ると非人として扱われ、居住の制限を受けたりする等、様々な不利益を被ります。そのため、今でいう住民票のような役割も兼ねていたといわれています。

過去帳

「過去帳」とは仏具の一種で、お寺にある「ご先祖様の名前(戒名)と亡くなった年、享年が書かれている帳簿」のことです。家の仏壇に備えておく過去帳もあります。江戸時代は寺請制度のもと、お寺が今でいう役所のような役割を果たしていましたので、過去帳も重要な管理機能を担っていたのです。宗門人別改帳と異なるのは、公的な目的で作られたものではないので、藩が管理するものではなく、「お寺」か「家(本家)」にあるものである、という点です。

分限帳

「分限帳(ぶげんちょう・ぶんげんちょう)」は江戸時代の大名の家臣の名前や役職などを記載した武士名簿のことをいい、いわば武士の戸籍のようなものといえます。江戸時代に武士に地位・米・土地を与えたりするための管理名簿の役割を果たしていました。この分限帳には武士しか載りませんが、公的な帳簿のため、現代でも見れるものが歴史資料館等に保管されています。

江戸時代になると戸籍のような管理制度が発達していたことがわかります。しかし未だに現在の戸籍に近いものは、江戸時代の中盤までは一向に出てきません。そんな中、幕末時代の手前あたり、1825年に長州藩(今の山口県)で戸籍法が施行されます。この法律こそが近代戸籍法の原点とされていて、現代につながる戸籍制度の始まりといえます。

幕末・明治時代(戦前)の戸籍制度

幕末藩士

黒船が来航し、幕末・明治になると、欧米列強の脅威にさらされる中、近代国家樹立に向けて様々な制度を整備する必要が出てきました。そして明治5年に国としての本格的な戸籍制度が開始され、「壬申戸籍」と呼ばれる全国単位の戸籍が作られました。この壬申戸籍は制度運用の上で一番最初の戸籍だったこともあり、様々な問題があったため、現在は閲覧できなくなっています。

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日本で一番最初に戸籍制度ができた6世紀中頃から、約1200年近くたっています。その後、明治19年、明治31年、大正4年に細かい戸籍の様式の変更が加わります。戦前の戸籍は「家制度」のもと、「家」を基本単位とし、「戸主」と呼ばれる家の家督を継いだ一家の責任者の役割(戸主権)が存在していました。長男が家や相続財産を継ぐという慣習もその頃のものです。その後、第二次世界大戦が勃発し、日本は敗戦。戦後はGHQの占領政策のもと、日本の戸籍制度も岐路を迎えることになります。

戦後から今までの戸籍制度

東京

昭和23年。新しい戸籍法が施行されます。この戸籍法では、戦前が「家」を基本単位としていたのに対して、夫婦とその子供(2世代)が基本単位とされることになりました。つまり「家制度」が廃止され、親子単位の登録に変更になり、「戸主」は特段の権利をもたない「筆頭者」に置き換わりました。ようやくここで現在の戸籍制度が確立したことになります。

戦後から戸籍制度自体が大きく変わったことはありません。時代にあわせて管理の方法が変わり、1994年(平成6年)に電算化が進み、PCで戸籍を管理する自治体も増えてきました。最近だと2004年(平成16年)、PCのオンライン上で戸籍手続を可能とする法改正も実施されました。

現在の戸籍に記載されていること

現在の戸籍は、国民の親族的な身分関係を明確にするための情報を記載しておく公の台帳です。簡単に言い換えると「家族構成を登録(証明)する台帳」ということになります。つまり、「誰と誰が結婚している」、「子供が誰で両親が誰なのか」ということを登録するということです。では具体的に現在の戸籍には何が書いてあるのでしょうか。

<戸籍に書かれていること>
・本籍(戸籍を管理している市町村)
・筆頭者(戸籍簿の一番最初に記載されている人)
・在籍する人の氏名と生年月日
・続柄(父母、子など)
・戸籍に入った年月日
・身分事項(出生日や婚姻日など)
・戸籍事項(戸籍の編製をした日等)

以上の7つの項目等が書かれています。
「本籍」、「身分事項」、「戸籍事項」等の言葉は、ほとんど聞きなれない言葉だと思います。しかし、これらの項目があることで婚姻・離婚の届出がスムーズにいき、また遺産相続に際の重要な資料にもなっていて、自分のルーツを辿る家系図作りにも必須の資料になっています。

さらに「日本の戸籍に登載されていること」が「日本人であることの証明」になっていて、パスポートの申請の際に戸籍を提出する必要があるのはそのことが理由です。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
家系図を作る上でも重要な戸籍の歴史は元々いつできたのか、何が書かれているものなのか。それは日本の長い歴史の中で時代によって変化する、一言では説明できない出来事の繰り返しということがご理解いただけたと思います。

戸籍や国民管理というのは時代によって言い方や制度や目的に違いはあれど、税金の徴収や徴兵と合わせて考えられてきたものともいえます。しかし近年では戸籍制度と「税金」「徴兵」の関連は薄くなってきています。自治体の住民登録制度(住民票)との共存の仕方等、戸籍制度に関する議論はしばらく続いていくと思います。

日本の文化、歴史の一部でもある戸籍制度ですが、海外の制度も含めて考えてみてはいかがでしょうか。関連記事も一度ご一読下さい。

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