小学校や中学校の頃、歴史の授業で“江戸時代の庶民に苗字はなかった”などと教えてもらった方も多いのではないでしょうか。さらに現代の日本人が使っている名字のほとんどは明治時代に作られたもの、という漠然としたイメージを持っている方もいると思います。
しかしこの点、先に結論を言ってしまえば江戸時代の庶民は、“苗字はあったが公称できなかった”というのが実態です。「公称」とは世間一般に公に表せない(名乗れない)、公文書などに書くことができない、といった意味です。現代では大変身近な存在である「名字」ですが、江戸時代まで名字がどのような存在だったのか、正確に理解している人は少ないと思います。
本記事では、先祖を調査する上で必須の知識である「江戸時代の名字」というテーマで、研究者の論文などを参考にしながら解説します。
目次
江戸時代の庶民に苗字はあったのか
一昔前は学校の授業でさえ「江戸時代の庶民には苗字がなかったため、明治時代のはじめにお寺の住職さんなどに適当な苗字を付けてもらった」と教えていたと聞きます。しかし近年では、専門家による様々な研究、史料の分析から、明治のはじめに新しく名字をつけたケース(明治新姓)は少数であったと考えられています。
もちろん諸説ありますが、専門家の調査では江戸時代に水呑百姓と言われた人々でも苗字があったこと、苗字を公称できる苗字帯刀を許された人が集落にはいなかったにもかかわらず、私的な場面では集落の全員に近い人々が苗字を名乗っていた事例などが明らかにされています。
先祖調査の現場でも庶民の名字を確認済
私達の先祖調査の現場でも、庶民の墓石の側面に苗字が刻まれていたり、私文書(古文書)やお寺の過去帳に苗字のようなものが書かれているケースを多く確認しています。つまり、江戸時代の庶民にも苗字はあったこと自体は確実だと思われます。
庶民“全員”が苗字を持っていたのか?
現代では戸籍が整備されているため、名字がない日本人は1人も存在しない一方で、江戸時代は本当に苗字がなかった人々もある程度いたと思われます。しかし研究の進んだ現代でも、日本の人口の何割が苗字を持っていたのか把握することは困難です。なにせ公称が禁止されていた人々の苗字の話ですから、正確な統計情報などが世に存在しないのです。
苗字を持っていた人の割合
江戸時代に苗字を“公称”していたのはだいたい武士や公家、学者、医者、神主などに限られますので、その人口比率はだいたい6%くらいではないか、と推測されています。しかし私称していた人や、私称できなくとも苗字を持っていた(隠し苗字などともいいます)人の割合となると、少なくとも数十パーセントといった水準にあると考えられています。ここで具体的な数値をいいにくい理由はいくつかあります。
数値算出が困難な理由
- 江戸時代といっても約260年にわたる時代の移り変わりがあること
- 当時の幕藩体制下ならではの地域差があること
- そもそも“苗字を持っている”とはどういう状態を指すのかがハッキリしないこと
つまり江戸時代は長く、さらに現代のように、国民の管理・統治が一元化されているわけでもなかったため、地域差などもあり把握が難しいということです。さらに「苗字を持っている」ことの定義の問題も存在します。
苗字を持っているとはどういう意味?
- A.公称できる
- B.私称できる(村落における祭祀など私的な空間に限定される)
- C.持っているが村落などでも私称できない
- D.持っていたが忘れられてしまった(家としては本来持っている家である)など
このうちC、Dなどは残された記録類からでさえも実態を探ることは容易ではありません。さらに商店の屋号でのちに苗字として届け出られたもの(伊勢屋→伊勢谷など)などは、幕末にその家の当主が苗字と認識し始めていたのか、屋号として認識していたのかあいまいなものも多数あります。
研究者の調査結果
次に、研究者の先生方の言葉を見てみることにしましょう。
研究者のコメント一覧
「自己の家を持ち代々家業を継承していた層では、おそらく大部分が苗字を持っていた」
「幕府直轄領などは(中略)、百姓の殆んどは之(苗字)を私称して明治に伝へて居る」
「(天領のある村の、1846年の神社記録に)全村85軒の戸主(で)、苗字のないものは一人もいない」
「大名領である松本藩でも、1830年に33ヶ村の人口の9割をカバーする名簿(水呑百姓を相当数含む記載者2345名)中、苗字の記載のないものは16名のみ」
「1857年常陸国のある村の代官所に提出された書類には苗字帯刀の者以外は苗字が載っていないが、同じ書類の庄屋の控えには1戸を除いて水呑百姓まで全て苗字が記載されている」
さらに、庶民の苗字研究で著名な歴史学者である故洞富雄先生は、その論文で次のように説いています。
洞富雄先生の論文
「家柄に誇りを持つ富裕な高持百姓を中心とする、同族団的結合を基盤としていた農村社会において、主家はいうをまたず、たとえそれが擬制的血縁関係ではあっても、その分家の家々が苗字を亡失してしまうというようなことが、一般的事象として存在しえたとは、とうてい考えられないことである」
このように、研究者の間でも多くの庶民が苗字を持っていた、という調査結果が出ていることがわかります。歴史の研究が進むにつれ、「江戸時代の庶民には苗字がなかった」という唱える研究者はいなくなっていきました。
なぜ誤った認識が広がったのか
改めて考えてみると“苗字が公称できたかどうか”という問題と、“苗字を持っていたかどうか”、は全くの別問題のはずなのですが、いつの間にか庶民は苗字を名乗っていないから、持っていなかったのだろう、と誤って認識されてきたと考えられます。
また「明治時代のはじめにお寺の住職に苗字をつけてもらったという逸話」が印象的で、人々の記憶に残りやすかったため、この逸話が当時の一般的な出来事として誤って広がってしまったのだと思われます。
苗字を公称できたのはどんな人?
それでは次に、江戸時代に苗字を名乗ることができた人とはどのような人達だったのか、詳しく見ていくことにします。当然のように苗字が名乗れる武士か、特別に苗字を許された庶民か、の違いが大きいです。
苗字を公称できた人
公家・武士・医者・学者など
江戸時代の武士は、身分に付随する権利として当然のように苗字を名乗っていました。期間無制限で全国どこでも名乗れる武士の苗字公称は特権だったといえます。他には公家(貴族)、医者、学者なども苗字を公称することができました。なお当時は武士の身分(士分)は買うこともできたため、裕福な家などが大金で「士分」を買い、苗字帯刀の権利を手に入れるケースもあったことに注意が必要です。
また、浪人は苗字を名乗ってはいけない、といったお触れもありました。
特別に苗字の公称を許された庶民
- 特別な由緒のある者
- 奇特な者(親孝行、学術修行など)
- のちには献金によって許された者
このように、例外的に苗字帯刀を許されて苗字を公称できるようになった庶民もいました。特別な功績がある庶民に幕府(旗本)や藩(大名)当局などが「苗字帯刀を認める」ことになります。これは現代でいう勲章の授与と同じようなイメージです。そして藩が苗字帯刀を許した場合、その苗字の公称は本人一代限り、その藩領内においてのみ許され、藩主家が国替えした場合は一般的には失効するといった、限定された権利でした。このあたりの細かい相違は藩や時代によって様々です。
江戸時代の苗字事情
江戸時代の武士は当然の権利として苗字を公称し、庶民は私称する程度ではあるものの多くの人が苗字を持っていました。現代では「名字」は氏名の一部としての役割のみで、それ以上の意味はなくなっていますが、江戸時代までは武士といえども名乗ることが許されない苗字(徳川・松平)などもあり、「苗字」は今よりずっと特別な意味をもつものとして捉えられてきました。ここでは武士と庶民、それぞれの江戸時代における苗字事情について解説します。
武士の苗字事情
江戸時代の武士は、基本的には前時代(戦国時代以前)からの名字や苗字を継続して名乗っていました。ただし、武家社会ならではの事情で周囲に配慮して、苗字を変えることなども珍しくありませんでした。
苗字は与えられたり改姓させられたりした
その一方で全く異なる苗字の家臣にも功績などにより藩主が自家の苗字を与えることがありました。当時の社会では家臣が主家の苗字を許されることは大変な名誉とされていたためです。養子などの法的関係はないものの、場合によって家紋も同一のものを与えることがありました。そのため、調べている苗字がこうした事実に由来するものである場合、本来の苗字に基づく家系調査がしばしば困難となります。なお与えられる苗字は藩主家とは異なる場合も多くありました。
貴姓は避けられた
貴姓といわれる「今川」や「吉良」といったいわゆる名門の名字は幕府によってその本家筋のみが名乗ることを許されていました。前時代から続く、その名字自体が持つひとつのブランドを維持する考え方を踏襲したもので、徳川将軍家が徳川の名乗りを一族でもごく限られた家にしか認めなかったのと同じ文脈といえます。
妻や母方の苗字を名乗ることもあった
妻方や母方の苗字を名乗る場合は、養子に入る場合と、単に苗字を名乗っただけ、という場合と様々でした。
主君に遠慮して苗字を変える例もあった
主君に遠慮する例は割合多く、江戸にいた江戸氏は、徳川家康の関東入部に伴い、そのおひざ元の江戸を名乗ることを憚り、旧来のゆかりある喜多見姓に改姓します。伊達氏家臣の田手氏は、もともと伊達崎といいましたが、主家の名を憚り改姓しています。
この「苗字が変わる」ことが先祖調査をする上でのハードルになることもあります。当時の時代背景をよく理解した上で先祖調査を進めていくことが大切です。
現代では理由もなく自由な名字へ変更はできませんが、江戸時代までは苗字を与えられたり(賜姓)、様々な事情で苗字を変えることがありました。また苗字はそのまま「家」という社会上の集合体を表す単位であったことから、武士にとってどの苗字を名乗るかは将来の出世にも影響する、とても重要な関心事だったのです。
庶民の場合
庶民でも神主、学者、民間の医師などは苗字を名乗っていました。
農民が一面において神主を兼任している場合、神主としては苗字を名乗る、ということはありました。
まとめ
この記事を読んでいただいたことで、一般の方よりはるかに江戸時代の苗字事情に詳しくなったのではないかと思います。今、全ての日本人が当たり前に名乗っている名字の役割も、時代を通して変化し続けてきたことがご理解いただけたのではないでしょうか。
自分が今名乗っている名字が、明治初期に考えられたものなのか、江戸時代から続いてきた名字なのか、それよりもっと前の時代からなのか、気になっている方は是非、自分の名字について一度調べてみることをオススメします。