源平合戦や源氏物語、源頼朝、義経兄弟など、日本史では必ず出てくる「源氏」。日本人であれば一度は聞いたことがあると思います。源氏物語も源義経も今から1000年以上前の時代の話ですから、遠い昔話のように感じられるでしょう。しかし源氏の歴史は平安時代の終わり頃から形を変えながら実は“現代まで”続いているのです。江戸時代までの日本の歴史は天皇家、源氏、平氏、藤原氏の歴史だといっても過言ではありません。

さらに一歩進んで「自分が源氏の子孫・末裔かも?」なんてことは想像したこともない方がほとんどではないでしょうか。そんな方に向けて本記事では、1000年以上の歴史をもつ「源氏」について解説します。

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源氏とは

源氏とは、皇族が臣下の籍に降りる「臣籍降下」の際に天皇が「源」の氏を授けたことにはじまる、賜姓皇族(しせいこうぞく)のことをいいます。つまり、天皇の子孫の一族のことです。

平安時代は一夫多妻制ですので、天皇が多くの子孫を残すケースも珍しくありませんでした。平安時代に書かれた法令集『類聚三代格(るいじゅうさんだいきゃく)』によると、中でも嵯峨天皇はかなり多くの子供を残したようで、その全ての子供の生活費を天皇家の財政で賄いきれなくなることが危惧されていました。そのことから、弘仁5年(814)に「源」の氏と、皇族以外の臣下の中では事実上一番上の地位である「朝臣(あそん)」の姓を賜り、皇子を臣下の籍に降ろしたと記録されており、これこそが源氏のはじまりといわれています。

「源」の由来

魏書

「源(みなもと)」の由来は、中国の古書『魏書』のなかで、太武帝(魏の世祖)が源賀(同族の河西王の王子)に対して次のような言葉をかけたことに因んだものとされています。

「卿(きょう)、朕(ちん)と源を同じくす。事に因って姓を分ち、今、源氏となすべし」

これはつまり「私達は元々同じ一族で源が同じなのだから「源」を氏としなさい」という意味です。別れても同じ一族だ、という配慮が感じられるやり取りですよね。

「氏(うじ)」というと、今でいう名字のようなもののように思えますが、源氏の氏は、氏族を表すもので、現代の家族・家名を表す「名字」よりはるかに広い意味で共通の祖先を持つ同族集団のことで、現代の名字とはかなり異なった概念です

源平藤橘の「源」が源氏

代表的な「氏」には源氏・平氏・藤原氏・橘氏があり、その頭文字を並べて「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」(四姓)と呼ばれたりもしています。こういった氏(うじ)は現代では一般的な知識とはいえませんが、明治時代の一つ前の江戸時代までは出自で身分や出世が決まるような時代だったため、当時の人々にとってどの氏のどの流派の家系であるかは、社会的にみてとても重要な関心事でした。特に武士(武家)や貴族(公家)は自分がどのような出自の人間であるかが身分に直結していましたので、意識せざるを得なかったと思われます。

「源平藤橘」の解説記事源平藤橘を5分でおさらい!あなたの名字は何氏の流れ?

源氏の定義

1.天皇の子孫から臣籍降下した元皇族(賜姓皇族)
2.「源」という氏を賜った一族であること

この2つの要件が揃っていることがポイントです。

平氏は?

源氏と必ず比較されるのが平氏です。源氏も平氏も天皇の子孫の流れの元皇族(賜姓皇族)という点が共通しているからでしょう。平氏の祖は桓武天皇(嵯峨天皇の父)で、その長男である高望王が天長2年(825)に平朝臣(たいらのあそん)の姓を賜ったのが平氏のはじまりです。桓武天皇はみずからが興した平安京にちなんで「平(たいら)」という姓を授けて、多くの皇族を臣籍降下させました。桓武天皇と同じように「平」の姓を授けた天皇は他にもいたので、平氏は4つの流派が存在します。平氏については以下の記事で解説しています。

「平氏」の解説記事桓武平氏の子孫は今でも続く。平家が滅びた後の平氏の歴史。

源氏の流派・種類

この天皇が与えた一族の呼び名が氏で、「源」を授かった氏族が「源氏」ということになりますが、実はこの源氏にも天皇ごとに様々な流派があり、その数なんと21。これは「源氏二十一流」とも呼ばれます。

源氏二十一流

嵯峨源氏・仁明源氏・文徳源氏・清和源氏・陽成源氏・光孝源氏・宇多源氏・醍醐源氏・村上源氏・冷泉源氏・花山源氏・三条源氏・後三条源氏・順徳源氏・後白河源氏・後嵯峨源氏・後深草源氏・後醍醐源氏・正親町源氏・亀山源氏・後二条源氏

この数ある源氏の中でも子孫が栄えたのはごく一部の流派だけで、そのほとんどは数代で途絶えてしまいました。そのうちのいくつかの流派が存続することになりますが、中でも嵯峨源氏、宇多源氏、清和源氏、村上源氏の4流派が有名です。

源氏で有名な4つの流派

源氏の流派

流 派 歴史上著名な人物
嵯峨源氏 渡辺綱(渡辺氏)・松浦久(松浦党)
宇多源氏 佐々木四兄弟(佐々木氏・京極氏)
清和源氏 源頼朝・足利尊氏・武田信玄・徳川家康
村上源氏 源雅実(久我家・中院家)・岩倉具視

源氏といっても、公家として栄えた源氏(公家源氏)と、武家として栄えた源氏(武家源氏)に分かれます。公家源氏で最も栄えたのは久我家、中院家、千種家、堀川家を出した村上源氏ですが、綾小路家や大原家を出した宇多源氏もあります。このように比較的栄えた公家源氏もあったものの、公家に関しては歴史的にどうしても藤原氏の勢力には及びませんでした。そのため、やはり源氏といえば公家ではなく武家のイメージが強いはずです。上の表を見ても、清和源氏(武家源氏)は歴史の教科書でも必ず出てくる重要人物を多数輩出しているため、存在感が感じられるはずです。

武家・源氏の歴史

源家一党大集図

源氏が嵯峨天皇の時代にはじまったことはすでに解説しましたが、源氏が誕生した頃はいわば皇族より地位が低い「元皇族」が源氏であって、決して最初から高い地位が与えられていたわけではありませんでした。さらに数ある源氏の中でも清和源氏がどのようにして地位を築いたのか。実はここにも長い歴史があります。

平安時代の武士の身分は低かった・・

清和源氏の一族である源頼信や源頼光が生きた平安時代中期、元々は源氏や平氏のような賜姓皇族の武士は、諸国へ行政官として中央から派遣された官吏である国司として赴任し、政務にあたっていました。「国司(こくし)」は今でいう都道府県知事のような役職です。国司は赴任先の管内では絶大な権限を持っていましたが、中央の上流貴族である藤原道長などから見れば護衛兵のようなもので、当時は明らかに貴族より武士の方が身分が低かったのです

平安時代、中央政府(京都)での役職は限られていましたので、中央に戻っても出世できるかどうかは不透明でした。そのため、源氏や平氏が赴任を終えて京都に戻るよりも、そのまま地方に残った方が経済的にも安定して生活できたという事情も重なり、関東地方に国司として赴任した源氏や平氏の一族が土着して武士となり、たくさんの支流が生まれました

清和源氏の支流

清和源氏の支流

国司として赴任先で土着する武士が増えてくると、どの地域の源氏なのか区別するための呼称が必要になります。特に清和源氏は子孫の支流が栄えたので、河内源氏、摂津源氏、信濃源氏、甲斐源氏など「根拠地の地名+源氏」を組み合わせた呼称が使われるようになりました。河内(かわち)・摂津(せっつ)・信濃(しなの)・甲斐(かい)は「河内国(かわちのくに)」「摂津国(せっつのくに)」などと呼ばれた昔の国の行政区分です。現代の都道府県のようなものと考えておけば問題ありません。

河内源氏が宗家となる(1090年頃)

平安~鎌倉時代まで、源氏は歴史的にみて大阪・京都から東の関東地方に所領・勢力を持っていたため、支流の地名も中部~関東地域が多いことが特徴です。平安時代末期になると、奥羽(今の東北地方)での前九年の役(1051-1062)での安倍氏討伐、後三年の役(1083-1087)を通して、源頼義・義家父子(清和源氏)が関東地方に確固とした影響力を持つまでになりました。これまで清和源氏の嫡流はもともと源頼光にはじまる摂津源氏でしたが、この時期に源義家(八幡太郎)という武士の英雄が現れ、源義家を祖とする河内源氏が宗家といわれるように変わっていきました

保元・平治の乱(1156年頃)

しかし、この源義家が亡くなってから源氏は苦難を味わうことになります。保元の乱(1156)では平清盛と源義朝が後白河上皇方につき勝利したものの、源氏一族内での内紛もありその後の処遇で義朝が冷遇され不満をためます。その後の平治の乱(1159)では平清盛と源義朝どうしが争うこととなり、義朝が敗北。その後は平家政権が樹立され、一方の源氏の権威が凋落してしまいます。

源頼朝が鎌倉幕府樹立・征夷大将軍へ(1192年)

源頼朝

源義朝の子である源頼朝が幼少期に一命をとりとめ伊豆に流されてから、以仁王の平氏打倒の令旨(1180)をうけて源氏の棟梁として頼朝が挙兵し、かの有名な源平合戦へと進み、ついに壇ノ浦の戦い(1185)で平家を滅ぼすことになります。これをきっかけに源頼朝が鎌倉幕府を開き、本格的な武家政権を確立したことで、貴族ではなく武士が政治を動かす時代が到来します。源義家とその玄孫の源頼朝の系統である清和源氏(河内源氏)は、貴族の番犬だった武士が中心となる社会を作り、武士の地位を格段に押し上げた功績から、武家の棟梁と呼ぶにふさわしい一族として認められていくようになったのです。

この源頼朝をはじめとして、室町幕府を樹立した足利尊氏、江戸幕府を樹立した徳川家康まで、時代のターニングポイントで朝廷から「征夷大将軍」に任命されたこれらの人物は実は、全て清和源氏(河内源氏)を自称する一族でした

将軍になれるのは清和源氏だけ?

大昔から、「征夷大将軍」のような官職を得るには、先例が重んじられていました。武家政権が樹立された鎌倉時代から続く先例によって「武家の棟梁である征夷大将軍は、清和源氏がふさわしい」という認識が徐々に確立していったのです。歴代の将軍の中でも、徳川家康についてはあくまで自称源氏(新田氏)であり、現代の歴史研究により実は虚偽だったのではないかといわれています。この事実は、それだけ当時、将軍として世に認められるために清和源氏であることが重要だった、ということの裏返しともいえます。

清和源氏から出た将軍家

清和源氏から出た将軍家

このように、同じ源氏でも清和源氏の流れが特に栄えたため、源氏といえば通常はこの清和源氏のことを指すようになりました。「源氏」といわれれば「清和源氏」のことで、逆に宇多源氏の場合は必ず「宇多」をつけて「宇多源氏」と呼ぶ、そんなイメージです。

河内源氏は武家の一流ブランド

清和源氏の系図を見るだけで、日本史で習った人物や一族が多く出てくることがおわかりいただけると思います。その中でも源義家(八幡太郎)の後裔である河内源氏が嫡流とされ、鎌倉将軍家、足利将軍家、徳川将軍家(自称)、を輩出していることで、名門であることは一目でわかるはずです。源氏は源氏でも、

  • 「祖とする天皇+源氏」という大分類(清和源氏や宇多源氏などの流派)
  • 「根拠地+源氏」という小分類(摂津源氏や甲斐源氏などの支流)

のような2段階の分類があるということをご理解下さい。

自分が源氏の子孫なのか調べる方法

武家のエリート一族である清和源氏ですが、自分の家が清和源氏の子孫・末裔である!なんて言い伝えがある家も少なくありません。清和源氏という言葉を知らなくても、「家に清和天皇からはじまる古い家系図があるんですが…」という方もチラホラいらっしゃいます。逆に、全く言い伝えがない一般庶民でも、実は自分の家の歴史を調べてみたら源氏の流れかも!?なんて結果になることも珍しくありません

自分が源氏にゆかりがあるか、調べる要素の一つが「名字」です。源氏が名乗った名字は、系統ごとにある程度類型化されていますので、その一部をご紹介します。自分の名字があるか、探してみましょう。

清和源氏の名字一覧

清和源氏満仲流

頼光流(摂津源氏)

浅野・土岐・明池・多田・摂津・六條・能瀬・野瀬・倉垣・馬場・田代・深津・陵・溝杭・土居・船木・福光・墨俣・世安・島田・稲木・井上・伊豆・山県・鳥羽・高田・原・萓津・鷲巣・肥田瀬・外山・小国・大中川・小船津・小中川・久島・福島・深栖・池田・松崎・坂田・堀・尾塞・飯倉・河内・美濃・栗野・粟野・神門・肥後・蜂屋・落合・清水・神野・平野・能勢・田尻・伊賀・郡戸・出羽・長沢・高井・木田・気良・伯耆・深沢・猿子・尾里・秋原・饗庭・郡家・小弾正・八居・隠岐

頼親流(大和源氏)

宇野・奥・豊島・大森・土方・辛川・宇川・竹田・麻生・三宮・戸坂・八条・荒加賀・石川・福原・柳津・沢田・成田・河尻・大寺・小高・坂地・二河・加賀・峰田・大鳥・愛子・陸奥・太田・大野・一所・朝日・楊梅・大和・広瀬・入屋

義家流(河内源氏)

石川・岩槻・平賀・森・陸奥・河内・稲沢・飯富・鹿島・大学・右馬・板金・万力・紺戸・押田・山田・多胡・尾田・上野

義国流(河内源氏)

足利・細川・里見・新田・山名・徳川・得川・世良田・畠山・吉良・今川・斯波・一色・大崎・最上・大野・杉原・水田・荒加賀・河内・稲沢・蔵人・大新田・田中・竹林・牛沢・太田・戸前・大井田・大島・鳥山・能登・桃井・矢田・豊前・小新田・今井・脇屋・大館・堀口・一井・江田・上地・額戸・合土・長田・長岡・鎌倉・今出川・藤谷・堀越・広沢・吉田・尾張・大坂・渋川・少輔・板倉・苅田・石塔・小甫・上野・小俣・山崎・加古・蒲原・大木・乗木・長沢・駿河・岩松・下野・村田・二本松・仁木・豊島・土佐・戸加賀・荒川・戸崎

義綱流(河内源氏)

石橋・宮・美濃・加茂

義光流(甲斐源氏)

武田・逸見・佐竹・秋山・小笠原・三好・南部・平賀・新田・小早川・金津・木津・東方・西方・佐々毛・犬甘・大内・武蔵・小野・吉田・塩部・小松・山本・秋山・加賀美・上田・刑部・箕浦・早水・豊後・真島・柏木・錦織・大島・河内・岡田・上有智・稲毛・方原・深津・平塩・大桑・一条・飯室・甘利・上条・板垣・萬為・安芸・石禾・三浦・青木・高畠・岩崎・石橋・長淵・麻積・一宮・勅市・益田・丸毛・山中・常盤・津毛・中川・下條・内村・上野・米里・八代・小田・大井・田村・横根・藤崎・狩戸・鳴海・大蔵・大倉・安田・田中・泉・安井・二宮・武衛・伴野・奈古・浅利・東条・田井・利見・飯沢

頼清流(信濃源氏)

村上・山田・白田・飯田・寄合・古池・岡田・千田・三川・吉田・上野・西川・林・大藤・安藤・松殿・吾妻・下条・屋代・平池・入山・島本・出浦・近江・小野沢・平屋・今里・粟田・戸隠・小野

頼季流(信濃源氏)

井上・小坂・米持・村上・高梨・芳美・関山・安木田・葺田・桑洞・矢井守・窪・佐久・須田

清和源氏満政流

山田・高田・明智・美濃・木田・原・葦敷・開田・八島・善積・辻岡・出羽・富塚・与利居・沢俣・雨谷・辻・豊田・菱野・柏合・平野・白川・佐渡・浦野・生津・小河・上有智・吉野・相模・小島・泉・津保山・彦坂・世保・足助・尾張・参河・賀茂

清和源氏満季流

高屋・樋口・柳・河曲・坂東・大町・高岸・御園・岸下・林田・奥・岸本・平井・森・越前・小原・小椋・梅林・山上・石塔・三河・米井・和田・粟田・山田・和南

清和源氏満快流

伊那・夏目・依田・諏訪・片切・飯田・小田・堤・駒沢・大島・前沢・東・村上・甲足・甲谷・西・新井村・土水・大屋・木屋・猪本・中津・中津乗・林・野辺・泉・諏訪部・室賀・芳美・瀬橋・埴田・手塚・洗波・佐那田・飯閒・松本・二柳

この中に自分の名字はありましたか?
武家の名字は地名(領地)がルーツになっていることがほとんどです。同じ名字でもルーツ(系統)が複数あることも多いです。そのため、名字だけではなく、幅広く家の歴史に関する情報を集めて、それぞれの情報から推論することが正しいルーツの調べ方です。この名字だから源氏!この名字だから平氏!というような単純なものではありません。名字はあくまで情報の一つと考えて、複数の情報から多面的にルーツを推測することが大切です。名字のルーツ、歴史については以下の記事で解説しています。

「名字の歴史」の解説記事名字の歴史と由来。自分の名字はいつから始まったのか?

源氏の子孫は珍しい?

清和天皇からつながる立派な家系図が残っている家もあれば、調べてみたら源氏にゆかりがありそう!?なんて全く自覚がない人まで、様々でしょう。源氏の子孫であることは、決して珍しくないことだといえます。源氏は1000年以上の歴史がありますし、最も栄えた武家の系統なので、現代にまで子孫も多く存続していると考えることはとっても自然なことです。

長い歴史の中で、力のない家は次々に断絶していき、そんな家は数え切れないほどあるわけですから、どんな家系ということではなく今にまで血筋がつながっているという事実だけでも、実はかなりすごい先祖の偉業なのです

源氏は藤原氏に次ぐ大族!

私達が日常的に家系図作り・ご先祖調査をしている感覚としても、源氏にゆかりを持つお客様は天下の大族・藤原氏に次いで多い印象です

「武家藤原氏」の解説記事全国に広がる武家藤原氏の子孫たち。実はあなたも藤原氏!?

源氏は武家のエリート一族ですから、清和源氏の流れを見ると「源氏なんて羨ましい!」なんて思いになることもしばしばですし、家系図も作りがいがあります。清和源氏の系図は将軍家をたくさん出したため、桓武平氏に比べて、系図自体も異論が少なくハッキリしていることも特徴といえます。

平氏より源氏が格上だとか、そんな単純なものではないですし、現代は出自で出世が決まるような時代ではありませんが、自分の先祖に興味を持ち、先祖を誇りに思うことは自分にとっても先祖にとってもよいことだといえます。

意外と多い!源氏の子孫

侍・武士

家系図を調べてみると、自分にも歴史上の人物とゆかりがあることがわかることがあります。日本史を「他人事」ではなく「自分事」として捉えられるようになるのが家系図作りの大きな魅力です。よくよく考えてみれば、この島国日本では“日本史で学ぶ時代にも必ずどこかに自分の先祖が生きていたはず”なのですから、長い歴史の中で歴史上の人物と自分がつながっていることも全く珍しくないことなのです。

日本人の先祖調査で重要な3要素

  1. 名字
  2. 家紋
  3. 戸籍(古い本籍地)

日本人の先祖探しをするためには、欠かせないこの3つの要素があるため、源氏にゆかりがあるかどうか程度であれば比較的簡単に調べることができます。ただし推論に根拠を持たせて本格的に調べたい場合は、調べなければいけないこと、やらなければいけないこと、前提知識として学ばなければいけない知識は膨大になります。趣味で10年以上先祖を調べ続けている方も全く珍しくありませんので、数年越しで学びながら取り組む覚悟が必要だと考えましょう。

どうしても源氏の末裔を名乗りたい方は…

戦国ファンの方など、どうしても「源氏の末裔を名乗りたい!」なんて場合は、自分の名乗っている名字の家系だけでなく、母親の旧姓や祖母の旧姓等、調べる家を変えたり、増やしたりしてみることで源氏とゆかりを見つけられる可能性を高めることができます。そう考えると、日本人のほとんどは源氏と何らかのゆかりがあるといっても過言ではないのかもしれません。

日本の歴史と自分の歴史が重なる体験こそ、家系図作り・ご先祖探しの醍醐味です
まだ始めていない方は是非チャレンジしてみてください。