「一家の家督を長男に譲る。」
こんなセリフ、日本に生活している方であれば一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
現代で「家督を譲る」といったら古風に聞こえてしまいますが、戦前の日本では家督相続というものが現実に行われていました。戸籍を辿り、幕末まで遡る家系図作りの中では、戦前の制度である「家督相続」という言葉が必ずといってもいいほど登場します。
ですが一方で、家督というものがどんなものであったか、その家督を譲る「家督相続」とはどのようなものであったのか、ご存知の方は少ないと思います。家系図を作る上でも、当時の時代背景を知っておくことはとても大切なことです。この記事では、旧民法に規定されていた家督相続制度と戸主権について解説します。
目次
家督とは一体どんな意味?
はじめに、家督相続によって相続される「家督」とはどのようなものだったのか解説します。実は家督という言葉の意味は時代によって変わっていったといわれていて、家督のルーツである武家社会の中で、家父長制が成立した鎌倉・室町時代でいう家督とは「その家の家長権」を意味していました。その後、江戸時代になると「その家の財産や事業などの総体(家産)」のことをいうようになります。
家督とは家産のことだった
今では父親が会社員、息子は自営業、娘はアルバイト、母親はパート、というように家族がそれぞれ異なる仕事をしているケースが大半だと思いますが、身分制度が厳格だった明治以前は職業・事業も「家」ごとに行われることが多く、その家で営んでいる事業(家業)や財産・権利の全てを「家督」と呼んでいたのです。その家督を継ぐ家督相続とはつまり「家業を継ぐ」「家の全ての財産を継ぐ」ということだったのです。
明治維新によって法律に取り入れられた
明治維新によって江戸時代が終わりを告げると、明治新政府によって、日本の元来の慣習である家父長制が民法や戸籍法という法律によって取り入れられることになり、江戸時代まで社会慣習の一つだった「家督」が「戸主権」という法律に基づいた「権利」として定められることになります。ではその「戸主」や「戸主権」とはどんなものだったのでしょうか。
戸主とは何?戸籍の筆頭者とは違う?
「戸主」とは「戸(世帯)の主要人物」という意味です。明治5年に編成された戸籍には必ず「戸主」が筆頭に記され戸主を中心としてその家族が記載されていました。その後、日本が敗戦し法律が改正されると、「戸主」は「戸籍筆頭者」に置き換わることになります。
戸主は現代でいうところの戸籍筆頭者に当たりますが、現代の「戸籍の筆頭者」が戸籍の目次や索引的な意味しか持たないのに対して、戸主は「戸主権」という家族に対する法律に基づく具体的な権利を持っていたのです。
そのことから、戸籍だけを見ると同じような位置に記載されている戸主と筆頭者ですが、その意味合い・内容は全く異なると考えるべきです。
戸主権の内容
戸主権とは“同じ戸籍に入っている家族に対する権利”のことをいいます。現代で「家族」というと、その方の認識によってどの人までが家族と呼べるのか意見が分かれると思います。中には隣人・友達・ペットも家族みたいなもの!と考える方もいらっしゃると思います。
しかし戦前までは「家族」は戸籍ごとに「家」として明確化され同じ名字を名乗る一族として定められ、人数の制限もありませんでした。現代の感覚だと家族は両親と子供で構成される「核家族」が中心だと思いますが、当時は自分からみて伯父さんが戸主なんてことも普通で、今より家族の範囲が相当広かったのです。
日本人である以上は必ずどこかの「家」に属することになり、その家の戸主が家族の統轄と維持の責任を追っていたのです。次に戸主権は具体的にどのような権利だったのか見ていきます。
戸主権の3つの分類
1.家族の変化に対する同意権
2.家族の居所を指定する権利
3.家族から排除する権利
このように、戸主権は大きく3つの権利に分類できました。順番に解説していきます。
1.家族の変化に対する同意権
ここでいう“家族の変化”とは、具体的には家族の結婚(婚姻)や、養子縁組のことです。今でも慣習として結婚に対して親の同意は“なるべく”得ておきたいところですが、実際問題親の同意が得られなくても結婚自体はできます。戦前は法律で明確な同意権として定められていたということになります。
戸主は家族を扶養し統率する役割でしたから、どんな人が「家」に入ってくるのかを管理する必要があったということです。
2.家族の居所を指定する権利
戸主は家族が住む場所を指定する権利もありました。上でもご紹介したとおり、戸主は家族を扶養する“義務”をも負っていたので、家族がどこに住むのかということにも利害関係があったのです。今では誰でも自由に好きなところに住むことができますが、戦前は一家の長たる戸主に指定されたり、同意が必要な場合もあったりしたということになります。
3.家族から排除する権利
この家族から排除する権利は、上2つの権利を実現するための権利ともいえる最も強力な権利です。住所の指定に従わなかったり、結婚の同意を得ずに結婚してしまった夫婦を家族から外す(離籍させる)ことができました。
さらに未婚のまま生まれた家族の子供を家族に入れるかどうかも戸主の同意が必要でした。「親から勘当された」という言葉で使われる「勘当(かんどう)」、すなわち「親の意向に従わないことを理由に親子の縁を切ること」が、法律によって認められていたことになります。
現代ではこのような権利はなく、原則として実の子と縁を切ることはできません。しかし、戦前の戸主は家の最高責任者でしたから、家のことに関しては全てを管理できたということです。
家督を継いだ戸主の人生はバラ色だったのか?
戸主は家督相続によって一家の全ての財産・権利を引き継いだ上に、家の中でこれほど大きな権限が認められていたということになります。現代の感覚だと、家族の中でこんな不平等が許されるの?と思った方も多いと思います。しかし、今も昔も権利と義務は表裏一体。戸主は権利だけでなく大きな義務も負っていました。
戸主の義務と責任
1.家族全員を扶養する義務
戸主は家族に対して上に紹介した戸主権を行使する代わりに、家族全員に対する扶養義務があり、面倒をみなければなりませんでした。当時の「家族」は今の家族の親子としての単位よりはるかに大きなものでしたから、その家族に対する扶養義務も大きなものだったはずです。しかし、戸主は家督相続によって一家としての全ての権利と財産を引き継いでいるわけですから、戸主としては当然の義務ともいえそうです。
2.家を維持・存続させる義務
この義務は、法律に規定があるわけではありませんが、慣習として“家は末代まで引き継いでいくもの”という考え方が支配的だったため、自分の跡取り、法律的にいえば家督相続人を必ず用意して家督を引き継いでいかなければなりませんでした。さらに家業がある場合はその家業を守り、繁栄させていく責任もありました。今でもそのような考えの家も相当あると思いますが、戦前は戸主の長男として生まれた時点で、法定家督相続人として自然とこのような宿命を負うことになっていたのです。
このように、家督相続によって家督を継いだ戸主は大きな権利と合わせて大きな責任・プレッシャーを負っていたということになります。現代でもハッキリ見えない慣習のようなものでは長男の責任というものが存在していると思います。しかし、戦前では現代と異なり“法律によって”明確に規定されていたというわけなのです。
家督相続とは
大きな権利と大きな義務の塊だった「家督」ですが、その家督を引き継ぐ「家督相続」について具体的に解説していきます。
「家督相続」とは、法律的には「戸主の法律上の地位の承継」のことをいい、「家督相続人」とは「戸主の地位を引き継ぐ人」のことをいいます。「相続」というからには、誰かが亡くなって、その亡くなった人の財産を子供が引き継ぐというイメージで間違いありませんが、「家督相続」には現代の「相続」とは異なるいくつかの特徴がありました。
家督相続の4つの特徴
特徴 | 解 説 |
---|---|
1.身分相続 | 一般的な財産だけではなく、家長(戸主)としての地位(戸主権)、権利義務の一切(一身専属権を除く)を相続させるのが家督相続の一義的な目的だった |
2.財産相続 | 戸主としての地位だけでなく、戸主が所有する一家の財産(家産)を相続させる形式。その財産には系譜(家系図)、祭具(仏壇等)、墳墓(お墓)も含まれていた |
3.単独相続 | 家督相続は戸主権という地位の相続なので、家督相続人が2人以上ということはなく、絶対に1人が相続するものとされていた |
4.生前相続 | 家督相続では現代とは異なり、戸主の死亡以外にも隠居等の方法で生前でも相続を開始させることが認められていた |
家督相続には上の4つの特徴がありました。
さらに法定家督相続人には原則として相続放棄は認められないという今思うとビックリなルールもありました。当時「家督を継ぐ」ということはまさに長男としての義務・宿命のようなものだったのですね。
4の生前に相続開始できるという点も、現代の相続ではあり得ないことです。「隠居」という言葉は「仕事を辞めてのんびり暮らす」という意味で今でも残っていますが、当時は家督を譲るための法律行為(法律上の権利や義務を発生させる行為)だったということです。
誰が家督相続人になれたのか?
家督相続はやはり原則として嫡出子(正式に届出をして結婚している妻との子)の長男が継ぐものでした。と聞くと、法律でもガチガチのルールで固められていそうな気がしてしまいますが、家督を継ぐ家督相続人の法律上の要件については、実は柔軟でした。
当時は「家」が守られ「家」が末代まで継続していくことが大切なことと考えられていたため、当時の法律の上では家が継続していけるように最大限の配慮がされていたのです。家督相続人の要件については具体的に見ていきましょう。
<その1>長男じゃなくてもOK!
社会通念として家督は長男が継ぐものとされていたものの、特に長男でなければならないという決まりはありませんでした。ただし、後で紹介するように法定家督相続人の順位は年長者が優位とされていました。
<その2>女性でもOK!
女戸主(にょこしゅ)と呼ばれる女の戸主も認められていました。しかし当時、戸主はなるべく男子が好ましいとされ、女戸主はあくまで暫定的なものと考えられており、入夫婚姻(女戸主と結婚して夫が家督相続をすること)や女戸主がまだ健在なうちに隠居し、息子に早い段階で家督を譲るのが慣習とされていました。
<その3>他人でもOK!
実は「養嗣子(ようしし)」と呼ばれる家督を継ぐために家に迎え入れる養子(いわば他人)も認められていました。家に女性の子供しか生まれなかった場合は、婿養子縁組と呼ばれる結婚と養子縁組を同時に行い、将来の家督相続に備える制度等も用意されていました。
このように一応は法律上、家を継いでいけるように多くの配慮がされていました。さらに驚きなのが、長男は「徴兵令」といわれる法律で徴兵の義務さえも免除されていたという点です。戦争が多かった当時、家を継ぐ長男が戦地に行ってしまっては、大事な「家」の継続に支障が出てしまうと考え、国としても配慮していたということになります。
当時はこの法律を逆手にとり「徴兵逃れ」をするために分家をして戸主としての地位を得る“裏技”である「兵隊養子」も横行し、国としても頭を悩ませていたようです。
家督相続が開始する原因
次に家督相続が開始するケースについて見ていきます。難しい法律用語でいうと「戸主権の喪失事由の発生」が家督相続の開始原因になります。“戸主が戸主でなくなったとき”に家督相続が開始するということです。
現代の相続では誰かが亡くなったときに、その方の財産相続が開始するのが原則で、それ以外のケースはありません。一方で家督相続はというと、戸主が亡くなった場合は当然として、他に様々なケースが想定されていました。
家督相続が開始する6つのケース
ケース | 解 説 |
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1.戸主の死亡 | 戸主が亡くなったとき |
2.戸主の隠居 | 戸主が家督を譲るために隠居の届出をしたとき |
3.戸主の国籍喪失 | 帰化等で戸主が日本国籍でなくなったとき(戸主は日本国籍である必要があった) |
4.戸主の婚姻・養子縁組の取消による去家(きょか) | 結婚や養子縁組等で他の家からきた戸主が離婚や離縁によって家を去ったとき |
5.女戸主の入夫婚姻 | 女戸主が結婚して夫が妻の家の戸主になったとき |
6.入夫の離婚 | 入夫婚姻によって戸主になった夫が離婚して家を去ったとき |
こうして見ると、隠居によって家督を譲ることができたことも大きな特徴ですが、家督相続は一家の家産を相続するものだったので、戸主だった人がその「家」を去ったときにも相続が開始する点も特徴といえます。
さらに国籍喪失によって家督相続が開始するのも特徴です。現代では帰化等で日本国籍を失ったときは、その帰化した国の法律に従って相続がされるようになる、というだけで相続自体が開始する理由にはなりません。
今も昔も日本の戸籍には日本人でないと入ることができないという点は同じですが、戦前の戸主は日本国籍を持っていることが要件になっていたので、日本国籍を失ったときにも家督相続が開始したのです。
法定家督相続人の順位
「家督は嫡子の長男が継ぐもの」という考え方が一般的だった当時は、法律によって長男に優位に家督相続人の順位が定められていました。これを法定家督相続人の順序といいます。まず家族の「家督」の相続である以上、「同じ家に属している」ことと、「被相続人(相続される人)の直系卑属(下の世代)」であることが条件となります。「直系って何?」という方は以下の関連記事をお読みになって下さい。
その上で以下のような基本的なルールが定められていたのです。
家督相続の順位の4つの基本ルール
1.近親者が優先!
2.男と女だったら男が優先!
3.嫡出子と庶子だったら嫡出子が優先!
4.年長者が優先!
注)「嫡出子」とは正式な婚姻関係にあった夫婦の子。「庶子」は正式な婚姻関係にない女性から生まれた子のこと。
①の近親者優先ルールを除く②③④のルールは、今の時代からみるとどれも差別や不平等にしか思えません!が、戦前の当時はこのルールが法律によって定められていたというわけです。さらにこのルールの中でも優先度がありました。
①近親者優先ルールは②の男優先ルールに優先され、②男優先ルールは③嫡出子優先ルールに優越していました。これはどういうことを意味するのかというと、同じ世代の兄弟姉妹がいた場合、文字通り長男が最優先順位になることを意味します。
さらに②男優先ルールは③嫡出子優先ルールより優位という点にも注意が必要です。男戸主が正式に結婚した妻との間に女子しか生まれず、妻ではない違う女性との間に男子(庶子)がいた場合は、妻との子供ではない男子に家督相続によって全財産が受け継がれることになってしまうことになるからです。これでは残された妻と娘が困ってしまうため、戸主に女子しか生まれなかった場合は家全体として家督相続に注意する必要がありました。
家督相続と跡取り問題
当時は初めての子供が女子だったときは嬉しい反面「家の跡取りをどうしようか」と悩む父親も多かった、ということも、これでうなずけます。地方によっては必ず初めて生まれた子供が家督を継ぐものとされ、初子が女子だった場合は長女に家督を相続させ、婿を迎え入れる慣行(姉家督)も東北地方を中心に存在していたようです。
4つのルールは今の法律でも引き継がれているの?
当時は法律に基づき当たり前に思われていた上の4つのルールですが、現代の相続では、①の近親者優先ルールを除いて廃止されています。②男優先ルールと④の年長者優先ルールは戦後の法改正時に家督相続制度と共に廃止され、③の嫡出子優先ルールは平成25年9月4日の最高裁判例によって憲法違反と判断され無効となり、平成25年12月5日に成立した民法の一部を改正する法律によって正式に該当箇所の条文が削除されています。
日本の慣行から生まれた家督相続も、法律の改正によって全部切り替わることなく、長い時代を経て少しずつ平等な相続に近づいていっているということなのかもしれません。
指定・選定家督相続人
戸主は同じ家(戸籍)の中に子供や養子(直系卑属)がいない場合のみ、今と同じように遺言等で生前に誰かを相続人として指定することができました。これを「指定家督相続人」といいます。
さらに子供も養子もおらず、誰かを家督相続人として指定することもなかった場合は、前の戸主の父や母、親族会が選定する「選定家督相続人」というものもありました。その位、家が継続していくということが重要視されていたということでしょう。
家督相続と戸籍の記載
ここで、家督相続は戸籍にどのように記載されるのか、確認しておきます。
「大正○○年〇月〇日前戸主○○死亡ニ因リ家督相続届出同月〇日受附」
通常このように記載されます。「家督相続」と正式に記載される場合もあれば「○年○月○日家督」や「○年○月○日相続」と略されて記載される場合もあります。
戦前の戸籍を読むと、大切な「家」を引き継いでいくために腐心した先祖の生き様が読み取れることもあります。昔は子供が生まれてすぐに亡くなってしまうことも多く、跡取り問題は深刻でした。自分までバトンをつないでくれた先祖に感謝に感謝の気持ちも生まれてきます。戸籍の読み方は関連記事をご覧下さい。
昔、相続は2種類あった!?
ここまで読み進めていただくと、戦前の相続の全てが家督相続だったように思えてくるかもしれません。ですが戦前の人全てが戸主だったわけではありませんので、もちろん家督相続ではない「遺産相続」もありました。
1.戸主権を持つものが死亡・隠居した場合等 | 家督相続 |
2.戸主権を持たないものが死亡した場合 | 遺産相続 |
その遺産相続は戸主としての地位の承継がない、財産のみの「遺産相続」として民法という法律で家督相続とは別のものとして定められていました。昔は戸主の相続である「家督相続」とそれ以外の「遺産相続」の2つに分かれていたのです。この遺産相続は、現代と同じく死亡によって開始され、共同で相続することを原則としていたので、多少の違いはあれど基本的には現代の相続に近いものだったといえます。相続が2種類あったなんて、今からするとビックリですよね。
廃止された家督相続制度
家督相続が廃止された理由
第二次世界大戦の敗戦、GHQの占領政策のもと、家督相続制度は日本国憲法24条の法の下の平等の規定に反するものとして廃止されることになります。祖先も明らかでない「家」や「生まれた順番」によって個人の権利が犠牲にされるような制度は、基本的人権の尊重を一義とする新しい憲法の主旨に反すると考えられたのです。昭和22年5月3日、日本国憲法の施行と同時に民法の応急処置法が制定され、以後は家督相続制度は廃止されました。
そもそもの制度の始まりは?
こうみていくと、なぜこんな不平等な長男単独相続の制度が続いていたのか疑問が湧いてくるはずです。実はこの制度は明治時代に始まったのではなく、江戸時代に徳川家康が提唱し、確立させた制度でした。当時は生まれた順番で相続する人が既に決まっていた方が、無用な相続争いが避けられるために合理的だと考えられていたというわけなのです。今だからこそ不平等に感じる制度ですが、当時は日本国民の大半が当たり前だと思っており、特に疑問を持つ人も少なかったのでしょう。
現代にも残る家督相続の亡霊
戦争が終わり、法律が変わっても、全国民の考え方がすぐ変わるわけではありません。家督相続が廃止された後も家制度の慣習のようなものは根強く残っているといえます。日本の特徴として年功序列をはじめとする年長者を敬う風習がありますが、これは武家の家制度からくるものというよりも儒教からくるものといわれていて、それ自体は悪くないのですが、くれぐれも兄弟姉妹間で不平等にならないように気をつけたいものです。
家督相続を主張する長男の問題
人は情報を自分に有利に解釈しがちなものです。法律が改正されたといっても、法律は関係なく「家督は長男が継ぐのがウチのルール。だから親父の遺産は長男である自分が単独で相続する!」等と主張する長男の問題があります。これは亡くなった方の子供である相続人自身も高齢な場合にありがちなことです。もちろん家族の中のことですから、家族全員が納得していれば長男の単独相続でも問題ありませんが、法律では兄弟均等に共同相続が原則だということは覚えておくべきでしょう。
葬儀の喪主
葬式のときに葬儀を取り仕切る役である喪主は本来誰が務めても構わないものですが、父親の葬式の喪主は長男が務めるのが根強い風習になっています。長男がいるのに二男が務めていると、葬儀の参列者から「なんで長男がやらないの?」と思われてしまうこともあります。このように、今でもお墓をはじめとする祭祀は長男が引継ぐケースが多いといえるのではないでしょうか。これも日本古来の風習、家督相続の亡霊といえるかもしれません。
まとめ
これまで家督相続と戸主権について見てきましたが、いかがだったでしょうか。家督相続というと不平等、差別的といわれることが多く、皆さんにもよいイメージはないかもしれません。しかし、だからといって戦前の制度全てを否定するのは少しもったいないともいえます。
今では核家族化が進み、家族の関係が希薄になってきていたり、孤独死をされる方が増えていたりと、現代になって人と人とのつながりの大切さが見直されてきています。昔は「しがらみ」だらけで窮屈で面倒くさい!といってしまえばそれまでですが、運命を共にせざるを得ない「しがらみ」があったからこそ、大家族が腹をくくってまとまり、協力してこられたともいえるでしょう。
この記事を読んで今改めて、家族の在り方について考えてみるキッカケにしてみて下さい。