満州国の歴史

皆さんは満州国をご存知ですか?
おそらく多くの方が小学校の社会(歴史)などの授業で習っているはずなので、記憶にある人も多いのではないでしょうか?

今の日本に至る前に長い歴史があり、その中に満州国が出てきます。それもそう遠くない時代です。
ですので、家系図を作る際に収集する昔の戸籍にも満州国と言う言葉を見かける事があるということになります。

満州国というのは、旧字体では「滿洲國」と書きます。
旧字体があると言う事からしても、昔だと思えるものではないでしょうか?また、歴史が苦手だった人にとっては、満州国って言葉は聞いた事あるけど・・どんな国だっけ??となる方もいることでしょう。

ここでは、その満州国の事についてお話させて頂きたいと思います。

満州国は、1932年の大同元年~1945年の康徳12年の間に存在していた国家です。この満州国と言うのは、いわば日本の傀儡政権(かいらいせいけん)でした。

傀儡政権と言うのは、その領域に関して統治をする政権が、うわべ上では独立はしているのですが、実際には外部の政権が支配者となっており、管理や指揮などが国家によってされている政権のことをいいます。

ですので、完全に支配下に置いていると言う事ではなく、支配者の利益を目的として命令や操作が行われながら統治されるということになります。

その満州国があった場所は、現在の中国の東北部に位置しています。
簡単に言えば、昔日本がその場所を統治していたという事になります。

満州事変はなぜ起こったのか?

戦車

満州国が誕生した経緯に関してですが、昔、日露戦争という戦争があり、その結果、中国の領土であった満州は当時の二大帝国主義国家であったロシアと日本で、1904年に条約を結ぶ事により、日本が満州の権益を得る事になったのが発端です。

しかし、実際には、満州全ての土地を得たわけではなく、日本が取得したのは遼東半島の租借権と、南満州鉄道の経営権だけだったとされています。

ちなみに、租借権と言うのは、その土地を借りる権利のようなものです。

その満州に派遣されたのが、日本の陸軍であった関東軍と呼ばれる人たちでした。ただ、中国側からだけで見ると、自分の領土で外国同士が戦争をしており、領土の権利を譲り合ったりしている事には納得がいかなかったようです。

確かに、他国が自分の国に入ってきてガヤガヤとやっているわけですから、気に入らないと言われれば当然の事かもしれません。

ただ、当時はイギリス(大英帝国)を筆頭として列強が各地に植民地を確保していることが当たり前の時代背景でしたから、そのような流れが世界的に起きており、それが当たり前の時代だったのかもしれません。

話を戻しますと、日本はロシアから譲ってもらった権利だけでは満足できない!として、満州の全てを日本の領土にしてしまえー!と言って、軍事行動を起こしました。
これが、世間でもよく知られている歴史上の出来事である「満州事変」です。

派遣されていた関東軍達は、中国が攻め込んできたから反撃しただけだと苦しい言い訳をしたのですが、やはり国際的には信じてはもらえませんでした。
この時、昭和天皇は、自分の承認なく、今後軍隊を動かす事はだめだと言ったようですが、結局最後は承諾したそうです。

その後、天皇を無視した状態で陸軍達が一丸となり、位を受けたり昇進したりする暴走が起きました。
この行動が後に、日本を崩壊へと導く事になります。

そしてこの満州の侵略について、あらゆる国から避難を受ける事になるのです。

中国が提訴した事によって、国際連盟がリットン調査団と呼ばれる団体を結成し、日本と中国、そして満州を訪問し調査を行いました。

しかし、この国際連盟が要望を言う前に、日本は1932年に満州国を作って、昔、崩壊していた清王朝を引っ張り出してきて満州の帝国皇帝にしてしまいます。

満州は中国人をトップにして文句を言わせないようにすることが目的だったのかもしれません。今の平和な日本からは、とても考えにくい行動だと思います。

肯定するわけではありませんが、当時はこのようなことが当たり前だったのかもしれません。

満州国の滅亡

とにもかくにも、中国人をトップにして何も言わせないようにしようとした日本ではありましたが、実際には、満州国と言うのは日本の操り人形状態にすぎませんし、他の国もそれに気づいていたのです。

そして、満州国を作った翌年の1933年に、国際連盟総会にて、日本以外が全員一致した形で満州国を否定する決議が成立します。

ここで怒った日本は、国際連盟を脱退したことで、どんどんと日本は崩壊していく事になったとされています。満州帝国は、日本至上主義の国でした。

ですので、スローガンとして上げられていたような「五族共和」や「王道楽土」などの言葉とは、現実はかけ離れており、お米が食べられるのは日本人だけで、朝鮮人については、雑穀を混ぜたお米、中国人においては、お米は一切入れられず雑穀だけのご飯でしたので、当時の中国人の方は辛かったでしょうね。

また、食事の前に天照大神を拝むように強要されていたそうです。

そして、最終的には、1945年(康徳12年)第二次世界大戦の末期に、赤軍と言うソ連軍によって、満州は侵攻され、日本の太平洋戦争に負けた事によって8月18日に満州国は滅亡と言う形に至ります。

ちなみに中国は今でも、これらの経緯から満州とは呼びません。
当時満州と呼ばれた地域については、現在は中国東北部と呼称されています。

また、表記としては「偽満」や、「偽満州国」とされているようですね。
現在私たちが生きている日本は、戦争はしないとしていますから、昔の日本にこのような事があったという事は想像しにくいと思われる方も多いと思います。

しかし、やはり今の平和主義の日本があるのも、その歴史があったからと言う表現をすることもできるような気がします。

色々と書かせていただきましたが、今の日本を知るためにも、このような歴史が日本にもあったという事を、少しは知識として入れておくことも大切だと思います。

あなたが家系図を作るときに集める戸籍の中に「満州国」という文字を見つけたら、そんな大変な時代を生きた先祖様が自分にもいたということになるからです。