NHKで放送されているテレビ番組「ファミリーヒストリー」。一度は観たことがある!という人もいるのではないでしょうか?

2008年よりNHK総合テレビで放送されている人気のテレビ番組です。この番組では、ゲストの家族の歴史について徹底的に取材を行い、ゲスト本人も知り得なかった家族の秘話などを紹介しています。ゲストには、毎回著名人が招待されており、普段からあまりテレビを観ない方でも、名前は知っているような有名な方々がゲストとして招かれています。そのゲストが、自分の知らなかった家族の歴史を見て知ることで、何を感じて何を語るのか?が番組の見どころです。

この記事では、又吉直樹さんの放送回についてご紹介し、さらにその家族のストーリーから私達が得られる“気付き”についてまとめました。

神回・感動回と呼ばれた又吉直樹さんのストーリー

NHKのファミリーヒストリーの放送回の中でも、注目なのが2013年に放送された、芸人でもあり芥川賞作家でもある、ピースの又吉直樹さんの放送回です。この又吉さんの放送は、又吉さんが第153回の芥川賞を受賞した事に伴い、2015年にもアンコール放送された番組内でも特に人気の放送回になります。又吉さんの回は「ハワイに渡った祖父の軌跡」という題名で放送され、又吉さんの父方の祖父にあたる又吉宝善(ほうぜん)さんの人生にフォーカスしたドキュメンタリーになっています。

祖父:宝善さんに関する言い伝え

  • おじいちゃんの名前は「宝善(ほうぜん)」
  • 英語が話せる(ハワイに住んでたから?)
  • 家に遊びに来る外国人の友達がいた?
  • アメリカ人と結婚していた時期があり、子供がいた?
  • 写真は晩年のものしか残っていない
  • 自分のことをあまり語りたがらず、家族の中でも不思議な存在だった

又吉さん自身は大阪府寝屋川市出身ですが、父と母は沖縄県の出身で、家族のルーツは沖縄県にあります。祖父の宝善さんは生まれてからすぐにお亡くなりになっていて、ほとんど言い伝えでしか祖父のことを知らなかったのです。

苦労だらけの戦前

サトウキビ畑

宝善さんが生まれたのは1907年でしたが、生まれた時もうそばに父親の姿はなかったようです。しかし外務省の古い資料に宝善さんの父、寶蔵(ほうぞう)さんの手がかりがありました。「海外旅券下付表(かふひょう)」に1906年、つまり宝善さんが生まれる直前に寶蔵は布哇(ハワイ)へ出稼ぎに行っていた記録が残っていたのです。父がいなかった為、宝善さんはお母さん:マカさんに育てられ、16歳のとき(1924年)に、ハワイにいる父を頼って出稼ぎのために海を渡りました。戦前にハワイに移民した人は2万人ともいわれ、現在でもその方々の多くの子孫が日系人としてハワイに住んでいます。

移民・出稼ぎとは

現在の日本では、移民や出稼ぎという言葉は、あまり聞き慣れない言葉になっています。しかし戦前の日本人は、宝善さん親子のように、海外まで出稼ぎをすることも珍しくはありませんでした。当時、サトウキビの大きなプランテーションがあり、宝善さんの父:寶蔵さんはそこで働いていたそうです。宝善さんも父を頼ってサトウキビ畑で働き始めますが、当時は安い賃金に劣悪な労働環境の上、日本人の中でも沖縄からの移民は言葉や文化が異なるため、風当たりが強かったそうです。「沖縄の人は大家族だったため、生計を立てるのが大変だった」とハワイ沖縄系図研究会の方もコメントしています。外国人への差別は現代でも存在していますが、当時日本人同士でも差別のようなものが存在していたとは驚きです。

祖父のハワイでの生活

ハワイでの過酷な環境のもと、宝善さんは、どのような生活をしていたのでしょうか。ホノルルにある図書館に住所録が残っており、そこには「Hozen cook」つまりコック・料理人だったと記載されていました。一足先にハワイを訪れていた宝善さんの兄:寶傳(ほうでん)がホノルルで小さなレストランを営んでおり、宝善さんはサトウキビのプランテーションを跡にし、兄の店で皿洗いから仕事を始め、ゼロから英語を勉強していったそうです。移民としての様々な苦労の中で、沖縄からきた日本人同士の仲間で助け合いながら生活を送っていたのです。

祖父が残した日記のようなメモ

古いメモ

生前、宝善さんは仏壇の位牌の裏に、日記のようなメモをしまっていました。そのメモには、亡くなった家族の命日・法事を行った日付が書かれていました。そのメモから、

  • ハワイに住んでいた当時子供(ヱミ子)がいて、2歳の時に亡くなっていたこと
  • 兄:寶傳も35歳の若さでハワイで亡くなっていたこと

がわかりました。大切な人を相次いで亡くし、宝善さんでのハワイでの生活は、辛いことの連続だったのかもしれません。当時の写真も見つかり、家族の中でもおぼろげだった宝善さんの人生が徐々に明らかになっていきました。その後沖縄に帰る為、宝善さんはパン店「ナシワベーカリー」で3年間必死に働き、渡航するためのお金を貯めて沖縄に帰ります。

太平洋戦争と家族への想い

ところが沖縄に戻ってから半年後の1941年12月に真珠湾攻撃が行われ、太平洋戦争が始まりました。その頃、宝善さんは沖縄の汀間に戻っており、戻ってから2年後、13歳年下の女性との結婚の話が持ち上がります。この女性こそが、又吉さんの祖母にあたる方となり、結婚から約1年後に男の子(長男)が生まれることになります。

戦争で直面した命の危機

壕

その後、戦争によって、宝善さんも日本軍に配属され命の危機に晒されることになります。アメリカ軍が沖縄に上陸し、目の前でたくさんの仲間が殺されていきました。追い詰められて集団自決をする人々もいる中、地下壕の中に避難。命の危機が迫っている中、地下壕の中に身を寄せていたのは15名。アメリカ人が大きな声で呼びかける中、英語がわからない仲間達は怯えていましたが、宝善さんはハワイの生活経験からそのアメリカ軍の話す英語が投降(とうこう)の呼びかけである事を理解できました。

投降とは、戦いつづける事を諦めて降参する事を意味します。宝善さんは地下壕から出てアメリカ軍と英語で会話をし、その事によってその壕にいた仲間は、殺される事なく命を助けられたのです。この出来事により、宝善さんはたくさんの方に感謝されたようです。その後、終戦間際に病気にて最愛の息子(長男)を亡くすという悲しい出来事もありましたが、1945年、たくさんの悲しみを生んだ戦争が終わりました。

終戦後の生活

壊れた戦車

終戦後、英語が話せると言う事で優遇され、比較的労働条件のよい基地の中でコックとして働く事ができました。しかし、その場所で働いていると、中々家族との時間をもてません。その後、長女が生まれた事をきっかけに、家族との時間を大切にする為、基地の仕事を辞めて故郷、汀間(ていま)で農業の仕事をすることにしたそうです。

大切な子供や、兄などを次々と亡くし、辛い経験があった宝善さんだからこそ、これからの人生で家族との時間を大切にしたいと思ったのでしょう。その後はたくさんの子宝にも恵まれ、貧しい暮らしの中でも家族と過ごす時間は宝善さんにとって幸せなものだったそうです。

宝善さんの人柄とは

農業でサトウキビを育てていた宝善さんはメモを残しており、収穫の時に手伝ってくれた方々の名前も全て記録していましたことがわかりました。さらに不幸があった家には1番に駆けつけて、仲間のために一生懸命尽くしてくれる人だったそうです。

「心は一番上等だった」
宝善さんは、たくさんの人のために尽くして、汀間では今でも感謝する人が絶えません。宝善さん自身がこれまでの人生の中で、多くの方と助け合って生きてきたからこそ、恩返しのように自分以外の人にもやさしくできたのではないでしょうか。

その後、又吉直樹さんが生まれてすぐ、宝善さんは大切な家族に囲まれて亡くなります。享年75歳でした。ここに、又吉宝善という1人の人生の幕が閉じました。終盤に、又吉さんの家族が話していたことが印象に残りました。

(又吉直樹さんの)伯母さん
「お父さん(宝善さん)が生きていたら、自分達がいろんなことが聞けるさね。ハワイのこともどんなことがあったのか今なら聞ける。いろいろ聞きたいこともあるんだけど、いないものですから。あっち(あの世)行って聞くさ。細かいことは。(今回のこの番組で思い出してもらえて)きっと今頃あの世で又吉宝善も喜んでいると思うよ。」

(又吉直樹さんの)お父さん
「(今の又吉直樹を宝善さんに)見せたかったな。」

宝善さんの妻(おばあちゃん)
「難儀ではあった(苦労した)けど、子供や孫が元気に活躍してくれて本当によかった。」

現在の沖縄でお盆をたくさんの家族・地域の人で賑やかに過ごし、ご先祖様を送り出すシーンで、番組は終わります。

ファミリーヒストリーから得られる“気付き”とは

灯籠

どんな家にもストーリーがあり、残しておきたい家族の歴史があるものです。そんな歴史を振り返ることで、家族の絆や大切さを感じることができます。大変な時期を通して命のバトンが引き継がれて、自分が今生きていることに感謝も生まれてくるはずです。

NHKのファミリーヒストリーは、様々な方の家族の歴史について紹介している番組ですが、この又吉さんの放送回からはたくさんの気付きを得ることができます。

自分が残したものが、いつか後世の宝物になる

宝善さんは自分の人生について多くは語らなかったようですが、日記やメモのようなものを残していました。それにより残された家族が多くを知ることができたのです。今の自分にとっては何でもないメモのようなものが、後世にとっては貴重な宝物になるということです。人の寿命に限界があるように直接話が聞ける機会も限られています。家族の歴史や言い伝えを、写真や資料で残すことは今私達にもできることです。

家族の歴史を振り返るキッカケに

この番組がキッカケになり、又吉さんのおじいさんの人生をもう一度振り返ることができたといえます。家系図作りやルーツ探しは、自分のルーツがわかった!よかった!だけではなく、家族の絆を感じ、思い出す貴重な機会になるということです。

又吉直樹さん自身の人生への影響

この番組によって、又吉直樹さんにはどんな影響があったでしょうか。自分のルーツである祖父:宝善さんのことをよく知ることによって、又吉さん自身も自分のことがよくわかったことでしょう。また先祖のゆかりの場所がハワイにあり、又吉さんのハワイ旅行は、他の人とは違った特別なものに感じられるようになったことでしょう。きっと少しだけ又吉さんの人生が豊かになったのではないでしょうか。

まとめ

NHK「ファミリーヒストリー」を観ることで、出演しているゲストだけでなく、私達のような視聴者にとっても、家族との関係を見つめ直したり、自分の家の歴史を知りたい!と思えるようになります。

家樹がお客様に提供したい体験も「個人版ファミリーヒストリー」のようなものといえます。とても面白くよい番組ですので、是非ご覧になり、ご自身の家系図作りにも取り組んでみて下さい。

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