女城主・直虎の家系図を探求する

2017年NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の最終回。ひっそりと生涯を閉じる直虎。徳川と北条の和睦をまとめ元服し、直政と改名する井伊万千代。その凛々しい姿に感動し、直虎ロスに陥っている方も多いのではないでしょうか。

ドラマの主人公・井伊直虎は、井伊家の菩提寺である遠州(現在の浜松市)の龍潭寺に眠っています。龍潭寺のホームページには「直虎をめぐる井伊家 家系図」が掲載されているので、ぜひアクセスしてご覧ください。

その家系図には、直虎の曾祖父にあたる井伊家第20代当主・直平から、直虎の養子・直政の息子で第25代当主・直孝までが記載されています。徳川家康との接点まで描かれており、戦国の世から江戸時代へと歴史が大きな舵取りをする前夜の光景が見られて大変興味深いものです。

井伊家の歴史の中では直虎が活躍した激動の時代を描いてます。井伊家全体の家系図というのは、インターネット上にたくさん上がっているようですので、ご興味ありましたらぜひご覧頂きたいと思います。

勇ましい武将? 優しい知将? 直虎のキャラクターとは


さて、戦国女武将、女城主といった勇猛果敢なイメージがついてまわる井伊直虎。本当はどんな女性だったのででしょうか。諸説交錯する中、その生い立ちとキャラクターに迫ってみたいと思います。

生年は不明とされていますが、没年と推定の没年齢から逆算して天文年間(1532-1555年)の初期ではなかろうか、とされています。織田信長が天文3年生まれですから、ほぼ同世代ということになるでしょう。ちなみに、直虎は信長が没した本能寺の変の3カ月後に生涯を閉じているわけですから、本当に同じ時代を生きたのだなと、歴史ロマンを感じてしまいます。

父は井伊家第22代当主・直盛。男兄弟がなく直盛の従兄弟・直親と許婚の間柄でした。ところが直親の父が主君である今川氏に誅殺され、まだ幼い直親は信州に身を隠したまま行方不明になってしまったのです。そこで、失意の直虎は龍潭寺で出家し次郎法師を名乗りました。しばらくして直親は戻ってきたのですが、すでに結婚しており息子・虎松が誕生します。

しかし父・直盛が桶狭間の戦いで戦死。直親も今川氏に謀殺されると井伊家の世継ぎに危機がやってきます。唯一の継承男子は幼い虎松となると、大叔父にあたる龍潭寺二世の南渓和尚の計らいで後見人として井伊直虎を名乗り、城主となったのです。

実際の直虎は、勇ましい武将というより内政外政に長けた知将だったといわれています。困窮する農民の借金帳消しにする井伊谷徳政令を出し領土振興に貢献したり、徳川家との積極的な外交で内政を鎮めたりと政治手腕を発揮しました。なんと言っても存続の危機に瀕した井伊家を繋ぎ、先見の目を利かせて家康に虎松(元服して井伊直政)を臣従させ、のちに徳川四天王と呼ばれるまでに育て上げたことが、井伊家の歴史において最も重要な功績だったといえるでしょう。

許婚だった直親との結ばれることがなかった悲恋の傷と、直親を想い続ける気持ちの強さからか生涯独身を貫き、養子の虎松に実子のような愛情を注ぎ育てた直虎。勇ましさより聡明で優しい母性が浮き彫りになるのではないでしょうか。

直虎縁の地を訪ねてみよう

井伊直虎の縁の地。生涯を通じて過ごした井伊谷(いいのや)は、現在の静岡県浜松市北区引佐町にあり、井伊谷という地名も残っています。冒頭からご紹介している龍潭寺はその中心です。境内の一番高いところにある井伊家墓所には直親の供養塔がありその隣に直虎が眠る墓があります。 そのほか境内にある井伊家縁のスポットでは、直虎の母が過ごした寺院内寺院跡や、直政の母が祀った子育て地蔵と神木の梛の木、井伊家御霊屋には歴代当主の位牌が祀られています。参道を出て少し歩くと井伊家の初代・共保が生まれたと言われている井戸があり、井伊直弼が詠んだ歌の歌碑が残されています。

直虎が晩年に過ごした妙雲寺は龍潭寺から徒歩で数分のところにあり、近年直虎の位牌が見つかったそうで、一般公開もされているそうです。井伊家の拠点、井伊谷城の城跡へは龍潭寺から車で5分、徒歩でも約15分くらいで行かれます。

今回は、感動も記憶に新しい『おんな城主 直虎』の家系図を広げて、激動の時代を生き抜いた一人の女性を追いました。一族が途絶えるギリギリのところで奔走した直虎の活躍が、歴史を大きく動かした幕末の譜代大名、井伊直弼へと繋がっていったのです。

さて、あなたのルーツはいかがでしょうか。家系を調べて家系図を作ってみると、思わぬ歴史ロマンへと世界が広がってゆくかもしれませんよ。