名字の起源は、天皇家の分家が名乗った「姓」?

日本には2〜30万種類もの名字があります。漢字ベースで約10万種類、同じ漢字でも読み方の数では2〜30万種類になるということです。その起源は中央集権国家が誕生した律令制の時代まで遡り、天皇家の分家が名乗った「姓」であるともいわれています。

一般的な「名字」は、平安時代後期頃から貴族や武士たちの間で広がっていったそうですが、一説によると藤原姓が増え過ぎたため、区別するために「○藤」「藤○」といった名字が大増殖したことによるとのことです。庶民の間で名字を名乗るようになったのは戦国時代から江戸時代にかけて。それでもすべての者が名字を得たのは、明治時代になって戸籍制度が導入されてからです。

「平民苗字必称義務令」は明治8年(1875年)2月13日に公布され、名字は日本国民として戸籍に登録する上で欠かせないものとなりました。それを記念して2月13日は「名字の日」となっています。では、名字にはいったいどんなルーツがあるのでしょうか。今回は名字と地域・職業の関連性についてご紹介します。

膨大な数の種類がある名字の半数以上は、ルーツが地名や地形、その家がある地域の特徴であるといわれています。その語源は、戦国時代以前のとても細かくローカルな地名であることがほとんどです。江戸時代の城下町や、明治時代以降の急激な都市化によって誕生した地名ではありません。

そのため、町名統合や再編成などで消えてしまった地名が名字として残っている、といった例が多いのです。一例をご紹介すると、全国で6番目に多い「渡辺」さん。摂津国西成郡渡辺村は現在の大阪市で淀川の河口付近。この地に嵯峨天皇の子孫である嵯峨源氏が武士となって住み、渡辺を名乗ったという歴史があります。

「わたなべ」という名字には渡辺・渡邉・渡邊・渡部という漢字がありますが、いずれもルーツは同じと言っていいそうです。その意味は「渡しの辺り」。つまり淀川下流域の渡船場というわけです。それとは別に、まったく離れた場所でたまたま渡船場の近くにある家が「わたなべ」を名乗ることもあったかもしれません。平安時代後期から戦国時代にかけて各地で名字ができていった中での、同時発生的な偶然もあったことでしょう。

ランキング上位の名字は、どこの地名が由来

全国に多い名字上位の中から、地名を由来とする名字を少しご紹介しましょう。

・高橋(髙橋)=「たかはし」とは神聖な場所で神を奉る柱や、掛けられた梯子のことをいいます。その神職が「高橋」を名乗ったり、その場所を「高橋」と呼びました。ルーツとなる地名は全国に広くあり、青森・静岡・愛知・奈良・愛媛・福岡・熊本などで多く確認されています。

ちなみに「髙」は旧字体漢字で、名前以外には使われない漢字です。「髙橋」さんが字を説明する際に「はしごのたかです」と言うことがありますが、神に近づく梯子という本来の意味を感じます。

・田中=蘇我氏族、源氏、平氏、藤原氏、橘氏と、そのルーツは多彩な流派があります。分布も広く、群馬・茨城・静岡・山梨・愛知・滋賀・奈良と関東から中部地方にある地名を発祥としているようです。語源は、読んで字のごとくで「田の中」。稲作文化が盛んな日本の原風景を、見事に表した名字といえるでしょう。

・山本(山元)=田中と同じように、さまざまな流派があります。さらに、日本は山の国です。山には山の神が宿ると言われてきました。そうしたことから山懐を山本と呼び、土地の名前や地形から山本を名乗る家が増えていったのだと言われています。

また、山の神に関連して神職にも多いようです。分布では東北が少なく、中部・近畿・中国地方が多く、九州南部では山本は少なく山元が目立ちます。

仕事から来た名字あれこれ

名字の由来には、その家が就いていた職業や家業というものもあります。「高橋」や「山本」に神職が多い、というのも職業由来といえるでしょう。

古い名字では律令制下の時代まで遡って、卜部・神部・宮部(祭祀)、久米(軍事)、矢作・服部(工業)、大田(農業)、磯部(漁業)、鳥飼・犬飼(狩猟)、庄司・東海林(荘園の管理)、大蔵(貢ぎ物の蔵を管理)などが見られます。

室町時代以降では家業の屋号がそのまま名字になって越後屋・加賀屋・山城屋・伊勢屋・和泉屋となり、明治時代になってから「屋」を取り除いたり「谷」に変換したりして名字とする傾向が多く見られたといいます。

あなたの名字のルーツは地名なのでしょうか、それとも職業なのでしょうか。もっと古い古代名や天皇の分家がルーツかもしれません。ぜひ一度、調べてみてはいかがでしょうか。