定年まで公務員として働き、定年退職後は地元のドライビングスクールで管理者をされている今田さん。今回ははるばる鹿児島まで出向いてお話を伺ってきました。今田さんは幼少の頃から日本史が好きで、今でも数多くの史跡が残る種子島出身であることから、日本の歴史を身近なものに感じられていたそうです。しかし、父方は曽祖父の名前しか知らなかったり、母方は父方の家系よりも不明なことが多かったので、家系図を作成することにしたそうです。家系図を作成することで、これまで知らなかった事実が判明しました。
祖父から聞けなかった家の歴史
家系図作成に興味をお持ちになった理由などありましたか?
私は小学生くらいの頃から日本史が好きでしてね。今だとテレビでも有名人のルーツを調べたりする番組があるでしょ?いつも観てますよ。
そうだったんですね。他の家のルーツも観てて面白いですから、自身のルーツも気になりますよね。
そうなんですよ。
今田さんのご出身は、鹿児島県の種子島ですよね。
そうです。生まれ育ったのが種子島でしたから、歴史を感じられる場所だったので、歴史にも興味が湧いたのかも知れませんね。
その中で、ご自身の家系についてはお父様などから話を聞いていらっしゃったんですか?
父からも聞いていましたが、祖父が亡くなったのが早いので、父が祖父から直接聞けたことはほとんどなかったんですよ。
お父様が6~7歳くらいの頃にお祖父様が亡くなっていますね。
祖父がもう少し長生きしてくれていれば、家についての伝承なんかが残っていたのかなと思うときがありますよ。本当は古い家の歴史についての話を聞いて、私も残したかったですね。
歴史が好きであることと、ご自身の経験が家系図作成のキッカケになったんですね。
私も子や孫たちがいますから、家系図を作って、わかっていることを伝えていきたいと思いましたね。
今まで知らなかった母方の家族
今回、家系図作成をお願いして、母親の兄弟姉妹が明確になったことは本当にありがたかったですね。
お母様の兄弟姉妹のことはご存じなかったのですか。
母親の家系は少し複雑で、母方祖父母は知っていましたが、母親の兄弟姉妹で私が知っていたのは2人くらいでしたね。
そうだったんですか。
母方の家のお墓は引き継ぐ家族がいなかったので、今は私が引き取って、今田家と同じ敷地内に移して供養しているんですよ。母も自分の両親と同じ敷地内に入れて喜んでいてくれていると思います。
そうでしたか。お母様にも今回の結果を報告できそうですね。
きっと母も祖父母も喜んでくれると思います。母にとっては知っている家族でも、今回の家系図作成がなければ、私たちが知ることはありませんでしたから。
そう仰って下さいますと我々も嬉しい限りです。
遺骨などはありませんが、母の家族も心の中で一緒に供養したいと思います。
素敵な想いでいらっしゃいますね。
いやいや、家樹さんが調べてくれたからですよ。ありがとう。
甥っ子に託された家系図作り
今回の家系図はご家族の皆様にも共有されたんですか。
家族にも見せましたよ!
ご家族の反応はいかがでしたか?
長男も立派なものを作ってくれたと喜んでいますよ。
それは良かったです。お孫さんたちもご覧になりましたか?
まだ孫たちは小さいですからね(笑)これから学校で勉強していく中で、興味を持ってもらえると嬉しいですけどね。
学校の勉強と合わせて家族の歴史を知れると面白いでしょうね。
実は教員をしている甥っ子がいまして、歴史好きで社会(歴史)の教員になったんですよ。その甥っ子にも今回の家系図を共有したんです。
それはかなり興味を持って下さったんじゃないでしょうか。
かなり喜んでいますよ!幕末の時代などの先祖の名前が判明したことで、歴史と照らし合わせているみたいです。甥っ子は鹿児島に来たときには、歴史的な場所に連れていくと大喜びしますよ。
薩摩は歴史の宝庫ですもんね!
そうなんですよ。
親族の方にも共有いただければ広がっていきますよね。
だから、甥っ子には家樹さんに作ってもらった家系図をベースに、更に広げていくようにお願いしているんですよ。親族の情報もそうだし、どんな時代に生きた先祖達なのか情報を増やすように言ってありますよ(笑)
それは甥っ子さんも大役を担いましたね。
あははは。立派な家系図にしていければと思います。
笑顔が穏やかな今田さんからはご家族に対する愛情が深く感じられました。インタビューの後半にはお酒の話で盛り上がり、後日、わざわざ鹿児島の貴重な焼酎を送ってくださいました。いただいたお酒は社内のお酒好きのメンバーで美味しくいただきました。家系図のご依頼に加えて、お酒までいただいてしまい、本当にありがとうございました!