世界最高峰の名家、英国王室の系譜を覗いてみよう

今回は海外の名家、それも世界最高峰と言っていいのではないでしょうか、英国王室の系譜を覗いてみることにします。 簡単に言ってしまいましたがその歴史は深く広く、どこかにスポットライトを当てないと到底紹介しきれません。そこで、現在のエリザベス2世に次いで長期にわたり女王の座に就いた「ヴィクトリア女王」を中心に見ていきたいと思います。

ヴィクトリア女王は1819年5月24日に生まれ、18歳の1837年6月20日に即位しました。世界に君臨した大英帝国を象徴する存在として81歳で亡くなるまで、63年と7カ月もの長期に亘って在位しました。さっそく、ヴィクトリア女王の功績や足跡を簡単に振り返ってまいりましょう。

大英帝国絶頂期に63年7カ月に亘って在位

ヴィクトリア女王が在位していた期間のことを「ヴィクトリア朝」と呼びます。産業革命によって社会インフラ・技術・経済が急激に成熟した、まさに大英帝国の絶頂期です。 若くして即位したヴィクトリア女王に政治のイロハを教えたのは女王にとって即位時の首相、メルバーン子爵でした。1840年には母方の従弟であるアルバートと結婚。夫は良き助言者となり王権の中立化を進め、このことが現代のイギリスへと続く「立憲君主制」の足がかりとなっています。

1851年には国威を世界に知らしめる一大イベント「第1回万国博覧会」をロンドンで開催。女王と王配アルバートは熱心に関わり大成功を収めました。

しかし、残念なことにアルバートは志し半ばの1861年、腸チフスに冒され42歳という若さで亡くなってしまいます。悲しみに暮れた女王はその後10年以上に亙って喪に服し、公の場にほとんど出ることがなくなってしまったといいます。やがて、保守党の首相であるベンジャミン・ディズレーリの導きで公務に復帰した女王は帝国主義政策を支援し、大英帝国は世界各地での植民地化、半植民地化を一層押し進めていきます。

そして、1877年には初代の「インド女帝」に即位。植民地政策は強硬的に行われていき、この頃地球上の陸地と人口の4分の1を支配したとされています。 一方では植民地の権力者に権限を温存させたり、その子息たちに教育を施したりするなど、他国の植民地支配と比べれば温情型だったといえるようです。

晩年は病気がちになることが多くなるも精力的に公務を行なってきましたが、徐々に衰弱し、1901年1月22日に81歳の生涯を閉じました。

王位継承順5番目からの即位

ヴィクトリア女王は、ハノーヴァー朝第6代女王です。父はハノーヴァー朝第3代国王であるジョージ3世の4番目の王子、ケント公エドワード。母はドイツの小国出身のヴィクトリアです。2人の間の一人娘として生まれました。

しかし、1歳になる前に父は亡くなり、母の過干渉の元、即位するまで同じ部屋で暮らしていたそうです。また、3歳になるまではドイツ語で会話し、ドイツ系の夫ともドイツ語で語り合うことが多かったそう。誕生した時の王位継承順は5番目と王位には遠い立場だったのですが、叔父と父が亡くなり国王が崩御したことで、若くして女王に即位することになりました。

頑固で短気ながらも情に厚い人柄

女王の性格として記録に残っているところでは、とても短気で頑固、自分に反抗する人は自分の子や孫でも信用せず排除しようとしていたとのことです。一方では情に厚く、気に入った人物や理解者に対しては全幅の信頼を置いていたという事実もあります。在位中10人の首相が就きましたが、とてもうまくいく人とそうではない人がはっきり分かれていたようでした。

子孫は英国王室から欧州各国へ

ヴィクトリア女王の子孫を家系図で見てみます。王配アルバートとの間に4男5女と子宝に恵まれました。長女のヴィッキーはドイツ皇帝のフリードリヒ3世の妃となりその間にドイツ皇帝となったヴィルヘルム2世が誕生しました。

長男のアルバート・エドワードは母から王位を継ぎエドワード7世となって、サクス=コバーグ・アンド・ゴータ朝の初代イギリス国王、さらにはインド皇帝王位も継承します。次女のアリスはヘッセン大公国のルートヴィヒ4世妃となり、その4女アレクサンドラはロシア皇帝ニコライ2世の皇后となりました。

エドワード7世(在位:1901年1月22日~1910年5月10日)以降、現在のエリザベス女王へと繋がる王位を見てゆくと、エドワード7世の次男がウィンザー朝の初代国王で後のジョージ5世(1910年5月10日~1936年1月20日)。ジョージ5世の長男のエドワード8世が父の死を受けて独身で即位するも、不倫騒動が引き金となってその年の12月11日に退位。

すぐ下の次男アルバート、後のジョージ6世(1936年12月11日~1952年2月6日)は、最後のインド皇帝(1936年~1947年)にして、最初のイギリス連邦元首(1949年4月28日~1952年2月6日)となります。ジョージ6世となるケント公アルバートと妃エリザベスの第一子・長女として誕生したのが、イギリス連邦王国女王のエリザベス2世です。在位は1952年2月6日ということで、歴代最長となっています。

世界を制した帝国の王室の血筋は複雑

イギリスの血筋・家系図はたいへん奥が深く、ヴィクトリア女王が君臨していた帝国主義真っ只中の時代にはヨーロッパ各国の王室との交わりも多く、とても複雑なものです。なかなか身近に感じることはできませんが、映画や舞台として多くの作品が世の中に出ているので、そういったところから掘り下げていっても面白いものです。